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※ 前段の文章は省略しています。
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PKOであれ何であれ、日本が一定の軍事行動ができるのは、国連の合意がある場合にのみ国連軍の指揮下に限られるという条項を日本国憲法に明記すべきだ、という意味のご意見を開陳されていた評論家がいた。保守系の思想傾向と目されているかただった。
しかし、戦後に国連の欠点があまり目立たなかったのは、米ソ両国が拒否権を連発し、安保理が機能していなかったためである。国連はどうせそれほど役立たない存在だと誰も大きな期待を抱かなかったので、欠点もあまり感じなかったのである。冷戦が終わって、湾岸戦争とその後の時代に、安保理が国際的な合意形成に有効にはたらきそうな気配が生じた。しかし実際に現実を動かしているのは国連ではなかった。右の評論家の発言はたしかそんな時代の出来事であった。私には国連への手放しのこういう甘い期待は、「女子供」の幻想の域を出ないものに思えた。
1990(平成2)年11月5日、私は「国連平和協力法」に反対して、『産経』コラム「正論」に「中東の危機は極東の危機――安易な国連尊重主義の日本――」を書いた。湾岸戦争の始まる七十日前である。
「中東作戦(湾岸戦争のこと)が失敗したら、世界のあちこちが不安定化する。ことに太平洋地域における米国の軍事的プレゼンスが後退すれば、日本は今のままではとうてい済まない。・・・・・日中友好関係のひとつを取ってみても、米国の軍事力の支えによって可能になっているのだ、という当り前のことを、日本人は忘れ過ぎている」
「平和団体や革新勢力だけがそうだと言うのではない。日本政府までが、中東危機を米ソの和解の谷間に起こった、自分自身に突きつけられた新しい問題、東アジアの問題だとはまったく考えていない。その証拠に、政府が国連尊重主義をまたしても持ち出している気楽さ、安易さを考えてみるがいい。なぜ人は、左も右も、国連、国連と言い立て、国連を正義の御旗とするのであろうか。じつにもって分らない話だ」
「周知の通り、国連は今まで無力な存在であった。冷戦時代が終わって、国連が何ほどか機能しているかのごとき幻想が今始まり、これからますます機能してくる、というが、果たしてそうだろうか。米国が国連に背中を向ける時代が来ることだってあり得る」
「東アジアでは、(拒否権をもつ)中国の気に入らないことは、国連を通じてでは、何も実行できないはずである」
「『国連平和協力法』は日本の防衛行動を国連に縛りつけ、不自由にする法律である。同盟国米国は、日本は自分よりも国連の方を尊重しているのだろうか、と猜疑心を抱くことになろう」
「防衛行動はつねにフリーハンドでなければいけない。もちろん、米国にも一方的に縛られるのはまずい。けれども、実際上の力を持つ米国との軍事的協調の維持こそが、日本の安全にとって不可欠である以上、米国に対しては少しずつフリーである方向を目指しながら、合理的に共同していかなくてはならない。そのために米国にある程度縛られるのは、今後ともやむを得ないのである。ところが、国連相手となると、そうではない。何の頼りにもならない、空虚なフィクションである国連に自国の防衛を永久に縛りつける今度の法律は、果たして日本の未来のためになるのであろうか」
私の十二年半前のこの警告は、今度の対イラク開戦には不要であった。小泉首相が今回ばかりは態度が一貫してぐらつかなかったのは立派だった。北朝鮮の拉致の兇悪、核の恐怖があったためか、大方の国民も首相の判断を支持しているかにみえる。
しかし北朝鮮問題があってもなくても、防衛は現実の力の働く場のリアルな洞察の上に築かれなくてはならないものであろう。「対米追随」だなどという日本政府への批判は、意味をなさない。フランスとドイツの予想外の反米英行動があって、日本は平和主義に一歩遅れをとったなどと無用な劣等感をかき立てることばがテレビ等にまだ残っているが、フランスもドイツも国家エゴイズムで動いているのだから、われわれはなんの後ろめたさを感じる必要はない。
東ヨーロッパ諸国が米英を支持したのは、ドイツとロシアの将来における強大化への不安、両国に対する安全保障の必要からである。フランスやドイツやベルギーなど、反米英に回った西欧民主主義諸国は、民主主義を破壊する勢力をおさえるのにどれだけの破壊が許容されるかというアメリカからの問いに、もっと現実的で、真剣でなければならない。ドイツのシュレーダー政権は所詮「村山政権」だから――総選挙の僅差で野党に回ったドイツの保守政党は米英を支持している――、やがて目が覚めるときもくるだろう。しかしシラク大統領が北朝鮮問題に強い関心を示さない一事をもってしても、フランスの行動は平和主義ではなく、国家エゴイズムにすぎないことをかなりはっきり裏書きしているのである。
サダム・フセインに原子炉を売り、軍事用ウラン売却の合意書に署名したのはシラク首相(当時)であった。そしてその原子炉はイスラエルによって破壊され、処分されたという前歴が彼にはある。いよいよ国連への甘い幻想はなくなり、EUが分裂し、NATOなどの同盟――米韓同盟も含めて――が総崩れになったありさまをみて、私は何も慌てる必要はない、と考える。国際社会の再編成が新しい必要性から急速に始められるのではないか、とむしろ積極的に理解する。
第一次世界大戦後のパリ会議で、周知の通り、ウィルソン米大統領によって国際連盟が提案されたとき、ヨーロッパ各国は同盟制度に基づく勢力均衡という今までの平和維持の方法がより現実的で、信頼できるとして、超国家的な機関の創設に永い間抵抗した。ウィルソンは「正義」を唱え、ヨーロッパ各国は「利害」を重視した。ことにフランスのクレマンソーは国際連盟の案に反対する急先鋒であった。
ひょっとするとブッシュ大統領は新しい時代の新しい「正義」を唱え、シラク大統領はヨーロッパの伝統的な「利害」に立脚した考え方に固執しているのかもしれない。勿論、国際連盟だけでなく、国際連合ももう事実上役割を終えた。なにか新しい合従連衡が始まり、国家間の再編成がなされる予兆がみられるのではないか。私がそういえば、石油という「利害」にこだわっているのはアメリカではないかとすぐ反論する人がいそうだが、ここでは再編成に必要な考え方、モチベーションを言っているのである。
テロリズム、ならず者国家、大量破壊兵器を脅威と感じている国々が心を共にし新秩序を目指すべきだ、とコラムニストのC・クラウトハマーはモチベーションを明確に言い切る。彼は、フランスは国連とEUを足場に、米英に挑戦するブロックのリーダーと自分を位置づけ、自らも大国となるチャンス到来と張り切っているが、この挑戦はただごとではないですぞ、と脅しをかける。
「この挑戦には深刻な応答をもってする必要がある。最高の国益問題についてアメリカ合衆国の土台を壊そうとしたことに対しては支払うべき代価があることを、思い知らせてやらねばならない。まず第一に、イラクの砂埃りが収まったらすぐに、われわれは安保理の拡大を強く求めていくべきで――インドと日本を新しい常任理事国に加えて――フランスの分不相応で、時代錯誤的な影響力を薄めていかなくてはならない」(Washington Post February 28)
彼はほかにオーストラリア、トルコ、スペイン、イタリ―、そして東欧諸国を新しい同盟国の中に数えあげている。彼はアメリカの外交政策を一番早く予想し、有効打を放ちつづけているコラムニストであるそうだが、世界は複雑で、背後には彼が計算しているよりもっと大きな歴史のうねりがある。
米英豪などアングロサクソンを抑止しようとする結集した力は歴史的に古く、第二次大戦では日本とドイツがそれで手を結び、ロシア(ソ連)と中国(蒋介石)を仲間に引き入れ、全体主義同盟を意識的に志向していた。当時の日本では全体主義は革新精神を表す、いい言葉で、個人主義は道徳的腐敗を示す悪い言葉だった。戦後日本は日英同盟に戻るような意味で日米同盟に安住したが、しぶといゲルマン民族はマルクの減価を承知でフランスと協和し、ユーロを演出した。そして冷戦終了後、ロシアの事実上の同盟国となった。アングロサクソンを抑止しようとする継続意志の表明であって、早々とアメリカに白旗を掲げたままの日本とはだいぶ異なっている。
フランスはそのドイツを自家薬籠中のものにしていると秘かに自負している。これがまた不可解な心理なのである。しかし今回の勢力対立は基軸通貨としてのドルとそれを急速に追い上げ、脅かしているユーロとの対決のドラマの一面があるようにもみえる。ユーロはこの一年でドルに対し25%も上げている。アメリカは年5000億ドル(約60兆円)の経常収支の赤字をつづけている。このままではドルは流出し、基軸通貨としての体制が危ない。アメリカはフセインが石油市場を支配する事態を何としても防いで、イラクを起点として、これから十年間くらいをかけ、自由に安全にドルを投資できる体制をアラブ全域にまで広げなくてはこの先がもたない。それを期待して、イラクの土地価格はすでに上昇しているそうである。
イギリスはEUへの参加も永い間しぶり、今なおユーロを採用していない位置にある。しかし戦争が終われば、フランスもロシアも中国も米英に近寄ってくるだろう。それでも、フランスが分不相応な尊大さを示し、「地中海は文明の中心」とつねづね言いたがるフランス人の偉ぶった態度を世界中の人が不快に思ったという事実は、いつまでも残る。フランスが国際社会の再編の台風の目になるであろうことはまず間違いない。
『諸君!』5月号