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2003年3月29日発行
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JMM [Japan Mail Media] No.211 Saturday Edition
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http://jmm.cogen.co.jp/
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▼INDEX▼
■ 『from 911/USAレポート』 第85回目
「交戦国の闇」
■ 冷泉彰彦 :作家(米国ニュージャージー州在住)
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■ 『from 911/USAレポート』 第85回目
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「交戦国の闇」
日本からアメリカに戻ってきますと、それはもうかつてのアメリカではありませんで
した。社会のあちらこちらに、闇とでも言うべき重苦しさを感ずるのです。国論の分
裂したまま突入した異常な戦争です。戦闘が始まっても大都市での反戦デモは続いて
おり、最低限の言論の自由はあります。ですが、戦前とは雰囲気が全く違います。ど
うしようもない、重さと暗さが世の中を覆っています。
闇を最初に感じたのは、成田でした。携帯の普及で極端に少くなった公衆電話を探し
出すと、がっしりした黒人の若者が電話口でわめいていました。余りの大声と汚い言
葉のために、つい内容を聞いてしまいました。青年は、日本から一旦自分の実家に寄っ
て、そこからどこか遠くに派遣されるらしいのですが、その実家での滞在時間が短い
のを怒っているようでした。相手は姉か誰かのようで、この機会に親や兄弟と会えな
いのでは、という怖れで感情的になっているさまは異様でした。どうしようもない暗
さが、そこにはありました。
シカゴ・オヘア空港の入管で、その青年は「USミリタリーはこちら」という職員の
声に誘導されて、列の短い特別ゲートから入国していました。横須賀か、横田か、恐
らく日本の基地から、どこかへ転属させられるに違いありません。それも急なことな
どで軍の定期便ではなく、民間機での帰国となったのでしょう。家族との再会を気に
し、滞在期間の短さを嘆いていた彼の行き先は、もしかすると湾岸かもしれません。
軍人専用の窓口には、7名ほどが並んでいました。
同じ入管で、私は日本のパスポートを提示したのですが、俗に言う「滑り」がここま
で良いのには驚きました。何も聞かずに、瞬間に許可印が押されるのです。国を離れ
ていた期間も、職業も、何も聞かれませんでした。その隣のブースでは、東京便とほ
ぼ同じ時刻に到着したメキシカン航空からの乗客が、それこそ根掘り葉掘り聞かれて
いたのと比べると差は明らかでした。勿論、メキシコ人については、不法移民化を恐
れて入管審査は厳しいのは良く聞く話です。
ですが、私の場合は米国市民よりも素早く入国が許可されたのです。このパスポート
の「滑り」は異常でした。ちなみに前後を見ましたら、中国のパスポートの「滑り」
は悪いようでした。各国を敵と味方に分けて、パスポートを区分けする、そんな戦時
ならではの入国審査の感覚を感じました。パスポート一冊、ビザのスタンプ一つで人
間の運命が、生命が左右される、ややオーバーですが、確かにそれは「交戦国の国境」
でした。
私はふと「命のビザ」で有名な杉原千畝氏のことを思いました。第二次大戦中に、在
リトアニアの外交官として、ユダヤ系の人々約6000人に日本の通過ビザを発給し
て、ホロコーストから救った行為は、やはり個人としての命がけの判断だったのでしょ
う。杉原氏のことを持ち出して、枢軸国でありながら日本という「国」としてヒュー
マニズムが残っていたという我田引水ぎみの解釈も目にしますが、それは都合が良過
ぎます。戦時の国境にあって、孤独な判断をしたという重みは、そんな安直な政治利
用を拒むものでしょう。
シカゴで乗り継いで、ニュージャージーのニューアーク空港まで辿り着くと、雰囲気
は更に物々しいものがありました。911の犠牲を忘れないためと「リバティ(自由)
・インターナショナル」と改名された空港の要所要所には、迷彩服を着用した州兵が
警戒に当たっていたからです。空港構内も、いつもは満車の駐車場も、極端に空いて
いました。特にNYの周辺ということもあって、開戦を契機に航空機の利用を控える
人が多いのでしょう。
大学に出てみますと、反戦のプラカードを掲げた学生がいたり、校舎の前で即席の討
論が行われたり、騒然とした雰囲気になっていました。まず、全教員には2通の重要
な書類が配られていました。一つは「イラク戦争に関する授業中の討論におけるガイ
ドライン」という文書です。「双方の意見を冷静に聞くこと」や「宗教や人種の違い
によって、過剰反応を起こす学生の存在を忘れないこと」、「議論の終結を明確にす
ること」などの注意事項が丁寧に書いてありました。
その一方で、「教官本人の見解や感情を述べても構わない」、「学生の反応を考えな
がらであるなら、怒りやフラストレーションの感情を表明するのも構わない」とあり、
むしろ戦争の問題について授業で積極的に取り上げるようにという主旨でした。少な
くとも学生からの問題提起には逃げるな、ということです。学長名でのメッセージに
は「前途にいかなる困難があろうと、非難を浴びることになろうと、自由な議論を守
ることこそ本学の本意」という悲壮な言葉が並んでいました。
もう一通は「大学自治警察」からのものでした。4月1日にワシントンDCで行われ
る「少数者保護法の擁護集会」は大荒れになることが予想されるので、自治警察とし
て「安全なデモの仕方」と「ワシントン警察の警備方針について入手した情報の解説」
という説明会をするというのです。この説明会に関しては「極めて重要なのでデモ参
加者には徹底するように」というお達しが出ていました。
陸上戦闘が本格化するにつれて、戦況は困難になってきました。とりわけ、POW
(プリズナー・オブ・ウォー)と言われる米兵捕虜の映像がイラクTVで公開された
り、戦死者の数がどんどん増えますと、社会は騒然となってきました。本欄で、捕虜
問題について感情的とお伝えした、地元FM局の論戦はエスカレートするばかりです。
25日の火曜日の夕方には、レイ・ロッシというキャスターは、「もしも捕虜が5〜
6人殺されたら、この際、ナガサキを一発お見舞いして、それでさっさと和平っての
もアリじゃないか」などと恐ろしいことを口にしていました。それにしても「ナガサ
キを一発」とは呆れて物も言えません。こうした議論は、日々荒っぽくなって行って
います。戦闘のニュースでも「イラク兵を500人殺した」という報道が、局によっ
ては明らかに「戦果」として扱われる始末です。
アフガンでのタリバン、アルカイダ狩りもひどいものでしたが、今回のイラク戦争は
大国の正規軍との正面衝突ということで、雰囲気はまるで違います。冷戦時代のイデ
オロギー差別や、ベトナムなどアジア人への人種差別的な言動を読むと、今でもおぞ
ましいものを感じますが、今回の雰囲気は「敵兵だから殺せばいい」、「敵国民の民
間人を盾として使うのは卑怯だ」、「殺されたら何十倍、何百倍にして復讐する」と
いうような「殺気」を感じます。それも前線のムードだけでなく、メディアの一部が
世論を煽るのですから、やり切れません。
それにしても、歴史は皮肉なものです。今回のイラク進攻は、様々な過去の戦乱のエ
ピソードを思い起こさせてくれます。別に過去と比べて知識のゲームをしようという
のではありません。この戦乱の出口は何かを考える際に、どうしても歴史を振り返ら
ざるを得ないのです。
まず、このイラク戦争は、第一次湾岸戦争に酷似しています。但し、立場はまるで逆
です。1990年、サダム・フセインがクウェートに進攻したのは、「イラク王政を
転覆した際に、クウェート王政が残ったのは不完全だった。だから、自分にはクウェー
トを取る権利がある。従って国際世論は文句を言わないだろう」というものでした。
しかも、その影にはクウェートの増産による、石油価格の下落を不満に思い、クウェー
トの油田を押さえて石油産出を止めようという意図がありました。
これは、まるで今回のブッシュの立場と同じです。「第一次湾岸戦争の際に、フセイ
ン政権が残ったのは不完全だった。だから、自分にはフセインを打倒する権利がある」
という訳です。石油の増産を快く思わず、むしろ原油価格の高止まりを、という思惑
まで一緒です。ブッシュ政権の攻撃に正当性がない点では、90年のフセインと同じ
ようなものではないでしょうか。
更に、第一次湾岸戦争と、今回のイラク戦争を結びつけると、朝鮮戦争の前半のエピ
ソードが思い出されます。金日成の急襲で崩壊した韓国軍は、一旦は釜山近郊だけを
残すところまで追い込まれました。そこを救ったのが、マッカーサー将軍の率いる米
軍(名目は国連軍)です。仁川から上陸して、あっという間にソウルを奪還し、補給
路を断たれた北朝鮮軍は敗走しました。ですが、そのマッカーサーは暴走して、一気
に朝鮮半島を統一すべく北朝鮮領内深く進攻したのです。この作戦は、結局中国の介
入や冬将軍に阻まれて、海兵隊史上最悪の撤退戦を戦う中で、多くの犠牲者と不明者
を出しました。
数日後に控えている(であろう)バクダット攻防戦を「スターリングラード攻防戦」
になぞらえる向きが、ペンタゴン内部にあるようですが、これはおかしな話です。ス
ターリングラード攻防戦は、第二大戦中にナチス・ドイツがソ連邦に「電撃戦」で侵
攻した際に、大都市スターリングラード(現在のボルゴグラード)を包囲し、突入し
て市街戦を戦う中で、結局攻めきれずに戦局の転回点となった戦いです。ペンタゴン
のお歴々は、ソ連が嫌いな余りに、自分たちをドイツになぞらえているのかもしれま
せんが、歴史はドイツの敗北を告げているのですから、奇妙と言えば奇妙な話です。
歴史の告げるストーリーは不吉なものばかりです。このまま、バクダットの攻防戦に
突入し、それが市街戦の様相を呈しながらイラク軍の抵抗が続けば、米英軍は何らか
の「戦意喪失策?仕掛けてくるでしょう。それが、仮に核兵器ではないにしても、
市街地でのデイジー・カッターないし、その拡大版のような燃料気化爆弾を使用する
ことになれば、多くの民間人犠牲が出ます。また、イラク軍に崩壊が起こり、思い詰
めた一部の連中が最後の抵抗として化学兵器を使用することもあるかもしれません。
そうした、大量殺戮をどうすれば防げるのでしょうか。この戦争の出口はどこにある
のでしょうか。今は、誰もその出口を描けずに、大規模な陸上部隊の衝突を待ってい
る、そんな恐ろしい状況です。街の星条旗はめっきり減りました。その代わり、今で
も掲げられている星条旗は、はっきりと軍事行動支持を意味するものになっています。
家々の郵便受けに、軒先に掲げられている星条旗は、911への追悼でも愛国心でも
ありません。はっきりと戦争支持という意味なのです。私には、そうした星条旗には
闇のオーラのようなものを感じざるを得ません。
そんな世相から逃避するかのように、球春を待望する声がメディアや街にあふれてい
ます。ここニュージャージーでは、リトルリーグの監督やコーチ達は、例年にもまし
てシーズン前の練習に熱心です。寒い冬に耐え、春を待っていたからでしょうか。そ
れだけではありません。戦争のもたらす闇に耐えられないからなのでしょう。せめて
子供たちと白球を追っている間だけは、何もかもを忘れたい、そんな心情が漂います。
ローカルのAMラジオ局は、ヤンキーズとメッツのシーズン前の予想舌戦で盛り上がっ
ていますが、みんな口々に「あと一週間で公式戦」ということを、本当に嬉しそうに
言うのです。これも例年の雰囲気とは違います。勿論、前代未聞の戦乱が中東の地で
戦われており、日々多くの人命が奪われているばかりか、大量殺戮の応酬すら予想さ
れる恐ろしい日々に、野球への逃避などというのは、退廃に違いありません。
ですが、人心は傷つき、分裂の痛みは耐え難いものがあるのです。せめて球春の喜び
だけは、という心情を全否定することはできません。新庄選手や松井選手の快音は、
正にそうした心情に応えるものでしょう。
春休み明け、そして開戦後初めての授業に行きますと、学生は全員が思い詰めた様子
でした。大学からの指示に従って、自由な議論うんぬんという学長訓示を紹介します
とブーイングが起きました。きれい事ではダメだというのです。19や20の若者た
ち、1980年代以降に生まれた新しい世代が、戦争と平和の狭間で必死に考えよう
としている、そのことの重みを私は感じました。ですが、第二の通達をしなくてはい
けません。危険なデモ参加者への安全講習会の案内です。
聞けば学生の2割から3割は参加を考えている様子だというのです。「1日のワシン
トンは危険になるらしい。だから、安全講習会には参加して欲しい。この大学の自治
警察は運動を弾圧するような性格じゃない」そう私は訴えました。学生達は、ブーイ
ングなどはしませんでしたが、半信半疑でした。「感情が爆発すると、交差点で渦を
巻いたり、禁止されたダイ・インをしたり、統制がとれなくなることがある。問題は、
その際にケガをしたら英雄だとか、ケガ人が出れば世論が動くという思い込みだ」。
「ケガ人では世論は動かない。むしろ分裂が深刻になるだけだ」。私はいつになく熱
が入っていました。私は、学生の純粋な心情に限りなく共感します。開発独裁と米政
権の癒着に怒るフィリピンの留学生、海軍を任期を全うして奨学金を得てきている学
生(軍を知るがゆえに、今回の戦争は許せないのだそうです)、そうした一人ひとり
のデモにかける意気込みは良く分かります。ですが、彼等を危険な目に遭わせる訳に
はゆかないのです。
日本についての質問も多く出ました。「日本の世論は反戦、政府はブッシュ支持です
よね。反戦デモはあるんですか」と聞かれて、私は21日の芝公園の5万人デモのこ
となどを紹介しました。「ただ、ともすれば反戦の日本人は反米に、米国が好きな日
本人は戦争支持になっている。この深刻な分裂の痛みを分かってもらうのは難しい」
そう私見を添えました。そうしたら、さすが日本語のクラスです。現状を説明する日
本語の語彙を教えてくれと言ってきました。日本人の友人に手紙を書きたいと言うの
です。
「戦争」「平和」から始まって、「賛成」「反対」というような基本単語を教えて行
きました。IRAQが「イラク」というカタカナ綴りも間違いやすいものです。日頃
は呑ん気に参加している学生まで、今日だけは必死にメモを取っていました。質問が
どんどんでます。“OIL”は何ですか、と聞いてきた学生は、石油利権と戦争政策
の癒着を訴えたいのでしょう。「大量破壊兵器」とか「生物化学兵器」などという言
葉も教えさせられました。勿論「核兵器」もです。
カリキュラムに戻って授業を消化した後も、教室では反戦を訴える学生が何人も残っ
て政権批判の議論を戦わせていました。そんな教室を後にして、研究室に戻りますと
一人の黒人学生がやってきました。理科系の優秀な彼は、南米出身の移民二世です。
自分は戦争には反対だが、兄が陸軍なので複雑な心境だと訴えてきました。彼のお兄
さんは陸軍に籍があり、今回の戦闘に召集されながら本土で待機させられているのだ
そうです。
南米生まれのお兄さんは米国籍がないまま、一度は陸軍で任期満了したのですが、そ
の際に「栄典」として市民権の即時交付を提示されたのを保留にしていました。軍へ
の忠誠は誓うが、市民権を得ることには踏み切れなかったのだそうです。そんなお兄
さんは、今回忠誠心を疑われて市民権を取るまで前線には出さないという扱いになっ
ていると言います。
弟の方としては、何だか家族がバカにされたようで不愉快だと言いながら、すんなり
召集されていれば今ごろは湾岸だと思うと本当に複雑なのでしょう。入隊が遅れる分、
ドイツのNATO派遣軍の補充に回されて湾岸へは行かずに済むらしい、彼と家族に
は一安心ということだというのですが、心中は反戦の弟としては二重三重に複雑とい
うわけです。
彼は反戦デモの際の「ダイ・イン」は嫌いだ、と言うのです。「だって、問答無用で
しょう。対話になっていないですよ。それじゃあ、戦争と同じだ」。そんな彼の目は
澄んでいました。闇に包まれた交戦国にあって、僅かな光を見る思いでした。
3月27日、マンハッタンの五番街では朝の通勤時間にデモ隊が「ダイ・イン」を決
行、通勤途中の群衆からは賛否両論の罵声が飛ぶ中、60人の逮捕者を出したそうで
す。株価は戦況を悲観してずるずる下げの局面に入ってきました。闇はどんどん深く
なってゆくばかりです。
冷泉彰彦:
著書に
『9・11(セプテンバー・イレブンス)―あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』
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