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【アンマン小倉孝保】イラクに侵攻した米英軍をイラク国民は解放軍としてみているのか、占領軍とみているのか――米英軍とイラク側との激しい戦闘が続く中、長くフセイン政権の圧政に苦しんきた一般のイラク国民の間には解放を喜ぶ笑顔がある一方で、民間人の犠牲者続出などへの反発が起こっている。開戦前は、米英軍を「解放軍として歓迎する」との見方が強かった。だが、外国兵士の侵入を目の当たりに、イラク国民の感情に変化が出始めたとの声もある。南部バスラでは住民蜂起が起こったとの情報もあるが、米英軍の今後の作戦次第では、イラク国民の反発が強まる可能性もある。
バグダッドでの空爆を3日間、経験した後、アンマンに出てきた運転手、サバーハさん(45)は「空爆後、バグダッド市民の心境に変化が出た。どんな独裁的指導者でも、外国に支配されるよりましと市民は考えている」と語った。
サバーハさんは、国民の大多数はフセイン政権に不満を持っていると打ち明けた上で、米英軍がイラクの解放のためでなく、石油支配のために侵攻したと感じていると話した。特に、実際の空爆で、市民に被害が続出したため米英軍を「敵」と考える気持ちが強まったという。
やはり、バグダッドへの空爆後、アンマンにやってきた運転手、サラーハさん(30)は「イラク人は外国に侵略されることに反発する」と解説した。イラクでは1932年に英国委任統治から独立するまで、激しい対英独立闘争が繰り広げられた。学校などでは常に、勇敢に戦ったイラク兵の話を聞かされており、外国の侵入には強い反発を示すという。
特に、イラク南部の町で米兵がイラク国旗を降ろして米国旗を掲げたことについて、サラーハさんは「国旗を揚げる必要があるのか」と怒った。
一方、フセイン政権下の恐怖政治に耐え切れず01年、イラク中部ナジャフからアンマンに移り住んだハディさん(60)は「国民の多くは米英軍を解放軍と考えているだろう。だが、大統領の怖さが脳裏にこびりつき、大統領が死なない限り、国民は米英と戦う姿勢をみせざるを得ない」と説明する。
91年の湾岸戦争直後に南部バスラやバグダッド市内などで民衆が蜂起した際、米軍の支援がなかったため結局、イラク軍によって潰された苦い経験がイラク市民にはある。99年にアンマンに移り住んだムハンマドさん(33)は「イラク人はみな、91年のことをよく覚えており、米軍を信用しない。大統領が死ぬまで、忠誠を誓うふりをする」と話す。
西側外交官の一人は「戦争という異常事態に入り国民挙げて外敵と戦うという空気が出来ているのかもしれない。そうなると今後、都市部での米英の苦戦は必至だ」と分析する。
[毎日新聞3月26日] ( 2003-03-26-20:11 )
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/kokusai/20030327k0000m030086000c.html