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Edward W. Said(コロンビア大学比較文学教授)
エドワード・W・サイード
訳・逸見龍生
カイロのアメリカン大学にアメリカ研究科創設基金として、アルワリード・ビン・タラル王子が1000万ドルを寄付した、との記事が2月初頭に新聞の小さなベタ記事で報道された。サウジアラビアのこの若き億万長者は、9月11日のテロの直後にもニューヨーク市へ1000万ドルの寄付を申し出ている。王子はそのときに添えた手紙に、自分の寄付はニューヨーク市への敬意の表明であると記しながら、アメリカは中東政策を再考すべきであろうとも示唆していた。この中東政策とは、イスラエルへの無条件支持を指すとともに、イスラムにたいして誹謗的な、少なくとも敬意を欠いた政策全般のことを意味していた。
当時のニューヨーク(世界最大のユダヤ人口を抱えた都市である)市長であったルドルフ・ジュリアーニは激昂し、ぞんざいに小切手を突き返した。それは相手をさげすんではほくそ笑むような、人種差別的と呼んでかまわないほど傲慢な態度だった。ジュリアーニ市長は、ニューヨークのもつイメージに便乗して、この街の示した勇敢さと、よそ者の手出しは断固としてはねのけるという姿勢を見せつけた。それが、一枚岩と言われるユダヤ系有権者の教育を試みるどころか、彼らにおもねる行為であったことは言うまでもない。
この卑劣な行動は、オスロ合意調印から2年後の1995年、国連総会への出席者全員が招待されたフィルハーモニック・ホールのコンサートへのヤセル・アラファトの出席を拒否したことと同根である。若きサウジアラビア人の寄付にたいするニューヨーク市長の反応は予測可能なものだった。アメリカの大都市の最低レベルの政治家が用いる下品で派手な手口にすぎない。寄付された金は、恐ろしい惨劇に傷つけられ、これを必要としていた街のために用意されたというのに、アメリカの政治体制とその立役者たちにとっては、イスラエルが何にもまして優先されるのだ。
市長がこの寄付を返却しなかった場合に、ユダヤ系コミュニティがいったいどんな反応をしたかは分からない。彼は目敏く、親イスラエルのロビイストたちのあの滑らかな歯車が回り出す前に先手を打ったのだから。高名な小説家でエッセイストのジョーン・ディディオンが、ニューヨーク・ブック・レヴュー紙への寄稿文で強調したように(1)、アメリカ外交政策の基本線はF・ルーズヴェルト大統領の時代から変わっていない。あらゆる論理に反して、サウジ王国とイスラエル国を二つながら支持しようとするものだ。ディディオンは述べている。そのせいで「私たちはイスラエル現政権との関係を損なうおそれのある事柄は何であれ、問題にすることができなくなっている」と。
こうしたエピソードを読むと、ほぼ完全に虚構にすぎないアメリカ観が正しいように思えてしまうかもしれない。それが、アラブの指導者や政治家、そして多くはアメリカで教育を受けた政治顧問たちの政策を左右している。この見方にはまるで一貫性がない。要するに「アメリカ人」こそがすべてを決定しているという考えの周りを堂々めぐりしているばかりだ。例えばアメリカをユダヤの謀略国家とみるもの、逆に無垢や善良さ、犠牲者への援助の尽きせぬ泉と思いこむもの、さらにはホワイトハウスの主となった絶対無比の白人がオリンポスの神のごとく一から十まで支配している国と考えるものなど、様々なバリエーションが乱れ飛んでいるとはいえ。
20年にわたって、私は足繁くヤセル・アラファトの許に通い、アメリカがいかに複雑な社会であるかを幾度も説明しようとした。アメリカが内側に多様な潮流、利害、圧力、複数の歴史を抱えていて、例えばシリアのような国を統治するのとはまるで異なっていること、アメリカという国には異なる権力や権威のモデルがあって、それは研究するに価することなどを述べた。私は盟友の故イクバール・アフマドに加勢を頼んだ。アフマドはアメリカ社会に精通した知識をもっていることに加え、民族解放運動の理論と歴史にかけてはおそらく世界で最も優れた人物である(2)。私は彼や他の専門家たちとともにアラファトと議論し、パレスチナ人が1980年代末にアメリカ政府と接触を始めるにあたって役立つような、精妙なモデルを構築しようとした。しかし結果は空しかった。
アフマドは、1954年から62年の戦争の際のFLN(アルジェリア民族解放戦線)とフランスの関係や、70年代に北ヴェトナムがヘンリー・キッシンジャーと行った交渉を研究していた。FLNや北ヴェトナムが宗主国社会に関して有していた正確で詳細な知識と、パレスチナ人がアメリカに関して(主に伝聞と「タイム」紙の斜め読みに基づいて作り上げた)漫画のような知識の対照ぶりは驚くほどだった。アラファトが夢見ていたのはただひとつのことだけだった。すなわち、ホワイトハウスに自分が招待され、あの白人のなかの白人たるビル・クリントンと直談判することである。アラファトにとって、それはエジプトのホスニ・ムラバクやシリアのハフェズ・アル・アサドと直接会談したのと同じやり方であった。
その間も、アメリカ外交の申し子でも長でもあるクリントンは、その魅力と手練手管でパレスチナ人を翻弄した。パレスチナ人はそのツケを支払うことになったが、それでも彼らのアメリカ観に変化はなかった。世界にひとつの超大国しか存在しなくなった今もなお、彼らの抵抗や政治の方法は50年前と同じままだ。失望した恋人のように、大多数は両手を掲げて「アメリカに望みはない」と嘆息するばかりだ。
この逸話のもう一方の側面には希望が見出せる。つまり、研究所に資金援助をするという、アルワリード・ビン・タラル王子の新しい戦略のことだ。アラブ世界の大学に散在しているアメリカの文学や政治に関する講義やゼミを除けば、アメリカやその民衆、社会、歴史を体系的に分析するための大学研究所のようなものはこれまでひとつもなかった。カイロやベイルートにあるアメリカン大学のような機関にすら存在しなかったのだ。しかし、際限のない力をもつ超大国の冷厳たる支配の下にある世界で、この国の内部に渦巻く力学を知ることは急務である。このことは英語の優れた運用能力をも含んでいるが、アラブの指導者たちがこの言語を使いこなすことはまれである。なるほどアメリカはマクドナルドやハリウッド、ジーンズ、コカコーラ、CNNの国だ。グローバル化のせいで、また安易で手軽な消費グッズへの世界中の抑えがたい渇きに似たもののせいで、いたるところに見つかる輸出製品の国だ。だがこの世界中の渇きがどこから来るのか、この渇きを生み出すような文化・社会的過程をいかに解釈すべきか、それらを理解することも必要なのだ。アメリカについて過度に単純かつ静的に、そして短絡的に考えることの危険は、目に明らかだからである。
イラクにたいするこの上なく評判の悪い戦争を準備しているアメリカ(そしてまったく日和見主義的にアメリカに追随しているイタリアとスペイン)の棍棒の前で、強情な国々が世界のいたるところでねじ伏せられている。2003年2月15日をはじめとして全世界で起こったデモや抗議行動がなかったとしたら、この戦争は反対者なき傍若無人な支配行為でしかなかったに違いない。欧州やアジア、アフリカ、中南米、そしてアメリカでも少なからぬ人々が抗議の声を上げた事実が示しているのは、ようやく次のことが理解されるに至ったということだ。すなわちアメリカ、少なくとも現在権力の座に就いている一握りのユダヤ=キリスト教徒の白人たちが、その覇権を地球全体に押し広げようとしているということだ。ならば、何をなすべきか。
私が提示したいもの、それはアメリカ人である私、しかし同時にパレスチナ人としての出自ゆえに異邦人としての観点を保持したアメリカ人である私の目に映るとおりの、驚くべきアメリカの見取り図である。私はこの国を理解する方法を示唆したいと思う。この国にたいしてより上手に介入するために、そして世界情勢が許すならば、この国により適切に抵抗するために。アメリカという国は、人が信ずるほど一枚岩ではないのである。
帝国というものにはそれぞれの特徴がある。またどの帝国であれ、自分よりも前にあった帝国が抱いた大それた野心をみずからくり返すような真似はしまいと考えている。しかしアメリカはそれに加え、自分の行動は実に素晴らしい利他主義と、善意に満ちた真心からのものであると標榜している。こうした人を不安にさせずにはおかない幻想あればこそ、かつて多かれ少なかれリベラルであったアメリカの知識人は群れをなして行動に立ち上がってきた。過去の彼らは、諸々の軍事行動への反対行動によって光彩を放った。今や彼らは、デマゴーグ的な愛国主義から陰険な冷笑主義にいたる様々な仕方で、美徳の帝国という概念を擁護する側に立とうとしている。知識人たちのこの180度の転換には2001年9月11日の事件が一定の役割を果たしてきた。だがツインタワーと国防総省へのテロがたとえどれほど恐るべきものであったとしても、このテロは米軍の軍事介入や駐留によって狂わされた海の向こうの世界から来たというより、まるでどこでもない世界から来たかのように扱われた。あらゆる点からみて、イスラム主義者たちのテロは厭うべきものであり、それを容認することはできないが、アフガニスタンへの、そして今回のイラクへのアメリカの武力行使にあたっての教条的な分析からは、歴史的視野もバランス感覚も完全に消え失せている。
メディアに次々と登場するこれらリベラルな「タカ派」たちが、完全に沈黙を守っていることがある。アメリカで甚大な、さらには決定的な影響力を有するキリスト教右派についてだ(その熱烈な信仰心と、美徳を喧伝することにかけてはイスラム主義者も顔負けだ)。キリスト教右派の世界観は旧約聖書から引き出されており、イスラエルのそれに似通っている。イスラエルの狂信的な新保守主義勢力と、キリスト教過激主義勢力との同盟関係で奇妙なのは、キリスト教過激主義勢力がシオニズムを支援している点だ。シオニズムが、全ユダヤ人をその救世主の再来に向けて聖地に集めようとしてくれるからだ。そうして集められたユダヤ人たちの選択肢は、キリスト教に改宗するか、根絶させられるかのどちらかということになる。血なまぐさい、暴力的なまでに反ユダヤ主義的なこの目的が公然と口にされることはめったにない。いずれにせよ、親イスラエル的なユダヤ系アメリカ人の間では皆無である。
アメリカは宗教の価値を最も鮮明に唱える国のひとつである。硬貨や公共建築物、そして「In God we trust」、「God's country」、「God bless America」といった決まり文句にいたるまで、国民生活のいたるところで神が引き合いに出される。ジョージ・W・ブッシュの権力基盤は、自分はイエス・キリストと出会った、自分は神の国で神の御業を完遂するために地上にいる、と彼と同様に信じる6000万から7000万人のキリスト教原理主義者たちから成る。一部の社会学者やジャーナリスト(フランシス・フクヤマもその一人だ)によれば、現代アメリカの宗教感情は、人口の20%が職や住まいを転々と変えているなか、人びとが共同体を求め、心の平安を懐かしんでいることに由来するという。しかしそれは真実の一面にすぎない。もっと重要なのは、それが予言的な啓示の宗教であり、黙示録的な使命にたいする揺るぎない確信であり、現実やその混迷とはまるで無関係であるということだ。騒然とした世界とアメリカが果てしない距離で隔てられており、カナダとメキシコという南北の隣国がアメリカの衝動を抑えられないことも、もうひとつ別の要因だ。
こうしたイデオロギー全体が収斂してゆく先が、アメリカこそは公正さと善良さ、自由、そして経済発展と社会進歩の約束を体現するのだという考え方である。これらの考えは生活にあまりにも深く浸透しており、もはやイデオロギーというよりも「自然」の事実にみえてくるほどだ。アメリカとはすなわち善、すなわち完全な篤実と愛なのだ。建国の父たちに対する崇敬の念は絶対的である。素晴らしい憲法とはいえ、人間の手による合衆国憲法についてもそれは同様だ。アメリカが真正であることの原点は、建国期のアメリカに求められるのである。
国旗がこれほど中心的な図像的役割を果たしている国はない。タクシー、上着の襟、家々の窓や屋根など、いたるところに星条旗がある。星条旗は国家イメージの最大の具象化であり、英雄的な忍耐力や、自国を攻囲する卑怯な敵たちと戦っているのだという感情を象徴する。愛国主義は今なおアメリカの第一の美徳であり、宗教と結びつき、自国のみならず世界中で、自分たちが正しいことをしているという感情と結びついている。9・11以後、悪しきテロリストどもに立ち向かうという名目で買い物が奨励されたときのように、愛国主義は消費行動でも発揮される。
ブッシュ大統領とその配下の連中(ドナルド・ラムズフェルド、コリン・パウエル、ジョン・アシュクロフト、コンドリーザ・ライス)はこれらの七つ道具を駆使して軍を動かし、あの皆がサダムと呼ぶ男と「カタを付ける」べく遠隔地で戦争を行おうとしているのである。こうしたすべての背後に隠蔽されているものは資本主義のメカニズムだ。それは現在、根本的かつ、私が思うに不安定な変容を遂げつつある。経済学者のジュリー・ショアによれば(3)、30年前に比べアメリカ人の労働時間は増加しているのに収入は相対的に低下している。にもかかわらず「自由市場」のドグマを見直そうとする真摯で体系的な政治的異論はいまだに出てきていない。大資本が連邦政府と結びつき、依然としてまともな健康保険や公教育を供するに至らない制度を改革することなど、あたかも誰も望んでいないかのようだ。制度の見直しよりも、株価のニュースの方が重要だというわけだ。
以上がアメリカのコンセンサスの大ざっぱな要約である。政治屋たちはこれをうまく利用し、単純きわまりないスローガンへと変えるのに余念がない。だが、アメリカというこの途轍もなく複雑な社会には、それにたいする多くの反対勢力や対抗勢力も存在する。大統領がその存在をことさら矮小化してみせた反戦運動の高まりは、もうひとつの、非公式のアメリカ、すなわち主流メディア(「ニューヨーク・タイムズ」のような一流紙、テレビ局、そして大部分の雑誌や大出版社など)がつねに隠蔽しようとしてきたアメリカから発しているのである。テレビのニュース報道と戦争へと突き進む政府の間の癒着ほど、あさましく破廉恥なものはない。CNNや主要テレビ局の平凡な視聴者ですらサダムの邪悪さを口にし、遅きに失する前に「われわれ」が彼を止めるべきなのだと語る。それでは足りないかのように、中東の言語をひとつも知らず、この地域に足を踏み入れたこともおそらくは一度もない退役軍人やテロ専門家、中東政策評論家たちがテレビの電波を占拠し、十年一日のごとく同じ文句で、「われわれ」は差し迫った有毒ガス攻撃に備えて車や家の窓を固めつつ、イラクに関与する必要があるのだとまくし立てている。
こうしたコンセンサスは巧みに構築され運用され、時を超えた現在とでもいうべきもののなかで作用している。アメリカでは、歴史は公的な言説から放逐されている。You're history(おまえは化石だよ)という侮蔑的に切って捨てる表現にみられるように、歴史という語そのものがむだなもの、つまらぬものの同義語である。歴史が持ち出されることがあるとすれば、それはアメリカ市民が自国の歴史(他の「古い」、一概にいって遅れた、したがって話にならない他の世界の国々の歴史ではなく)を忠実に、無批判に、歴史性もなしに信ずるべき場合だけである。ここには驚くべき二極化がある。大衆の心のなかではアメリカとは歴史を超えた、歴史を凌駕した国だ。だがその一方では、地方の些事から世界の諸帝国の大局にいたるまで、ありとあらゆる事柄に関する偏執的な歴史趣味が、アメリカ中に横溢しているのである。
ひとつ例を引いておこう。学校でいかなる歴史が教えられるべきかについて、10年ほど前に知識人たちの大論争があった。そこで提示されたもののひとつは、英雄的で統一化された国民的物語としてのアメリカ史、青少年の心に肯定的な影響を及ぼすようなアメリカ史のみを教えるべきであって、歴史の勉強は単に真理を知ることではなく、生徒たちを従順で、アメリカが自分自身および世界の他の国々と結んでいる関係についてのつねに変わらぬ基本的な図式を受け容れる国民にするような思想教育のためでもあるとする見解だった。こうした本質主義的観点からは、いわゆる「ポストモダン」や「分断を助長する歴史」(マイノリティや女性、奴隷の歴史)は排除されることになる。
しかしながらこうしたばかげたスタンダードの押しつけの試みは挫折した。リンダ・シンコックスはその経緯を次のように要約している。新保守主義的な「文化教育のアプローチが、対立図式を相対的に捨象したコンセンサス史観を生徒に教え込もうとするかなり意図的な試みであること、その点には私と同じように誰もが賛成するだろう。だがこの計画は完全に別方向のものへと転ずるに至る。教員用指導要領を執筆している社会史家と世界史家たちの手により、この指導要領は政府が潰そうとしていた複数主義的史観の伝達媒体となった。コンセンサス史観は最終的に、社会正義と権力再分配のためには過去のより複雑な見方が必要だと考える歴史家たちによって粉砕されたのである(4)」
マスメディアが無数の経路で支配している公共空間には、多様性や多面性という見かけを保ちながら、あらゆる議論を構造化し、パッケージ化し、制御する「物語素」と私が呼ぶところのものがある。ここではその「物語素」のうち現況において最も適当と思われるいくつかのものを取り上げたい。そのうちのひとつは集合としての「われわれ」という物語素である。すなわち、大統領や国務長官、砂漠に駐屯する軍隊、そして国益によっていとも容易に表象されている国民アイデンティティである。この国益は通常、正当防衛として、底意のないものとして、そして概して「無垢」なものとして看取される。
別の物語素は、歴史などはどうでもよく、都合の悪い過去の出来事に触れるのはよろしくないとするものである。例えばサダム・フセインやウサマ・ビン・ラディンにアメリカが支援を与えたこと、あるいはヴェトナム戦争とそれに伴った特異な惨害はアメリカにとって「不名誉なこと」であり、ジミー・カーターがいつぞや指摘したように「相互的な自壊行為」であったことなどだ。いっそう驚くべきなのは、アメリカ社会の形成に重要な役割を果たしてきた二つの体験が相変わらず周縁に置かれており、あまつさえそれが制度化すらされていることである。すなわちアフロ・アメリカン系住民を隷属させ、ネイティブ・アメリカンを追い立て、ほとんど殲滅させたことである。ワシントンには大きなホロコースト博物館が存在するが、アフロ・アメリカンについてもネイティブ・アメリカンについても同様のものはどこにも設けられていない。
第三の例は、われわれの政策への反対はすべからく「反米」であり、「われわれ」の民主主義、自由、富、偉大さへの嫉妬に由来するというやみくもな確信である。あるいはまた、アメリカの対イラク戦争にたいするフランスの抵抗にみられるように、例によって外国野郎の悪意であるとする確信である。この文脈にしたがって、ヨーロッパ人はいつも、一世紀の間にアメリカが二度も彼らを救ったことを思い出せといわれる。アメリカ人が暗に言わんとしているのは、ヨーロッパ人の多くは行動を起こさない、唯一戦争を真に行ってきたのは自分たちだということである。
少なくとも半世紀以来アメリカが足を突っ込んできた中東や南米などの地域では、アメリカを公正な仲介者、善のための国際的な力とみる物語素が圧倒的優位を誇る。それゆえ私たちが手にするのは、権力、利益、資源略奪、武力および/あるいは謀略による政権交替(1953年のイラン、73年のチリなど)といった要素の入る余地がほとんどない思考である。こうした事実を想起させようとする者たちの努力もなかなか歯が立たない思考である。
この種の現実主義と結託するのがシンクタンクや政府の用いる「ソフトパワー」や「プロジェクション」、「アメリカン・ヴィジョン」といった類のおぞましい婉曲語法である。こうした言葉の影に隠されている(あるいは暗示すらされない)のは、アメリカ政府が直接的に荷担するきわめて残酷な、あるいは不正な政策であり、例えばパレスチナ社会にたいするシャロンの軍事作戦へのアメリカの支援や、経済制裁によるイラク市民の生命の恐るべき喪失、トルコ政権やコロンビア政権にたいする後援である。そしてこれらは、外交政策の「真剣な」議論には無縁のものとされている。
最後に、公認の有力者(ヘンリー・キッシンジャーやデヴィッド・ロックフェラー、そして現政権の高官たち)が具現する精神的叡智という物語素があり、ほとんどオウム返しの形で使い回されている。例えば、イラン・コントラ事件の二人の前科者ジョン・ポインデクスターとエリオット・エイブラムズが政府の要職に就いたとき、それについての論評はほとんどなく、批判はもっと少なかった。過去や現在の、清廉な、あるいは汚濁した権威にたいする盲従は様々なかたちをとる。評論家や専門家は卑屈なほど敬意をこめた態度で有力者に接し、有力者のうちには洗練された外観(例えばダークスーツに白いワイシャツ、赤いネクタイがお決まりだ)以外のものは看取されず、少しでもそれを損ねるような過去の形跡は捨象される。
その背景には、現実を取り仕切るための哲学的体系としての、非形而上学的、非歴史的、そして奇妙にも非哲学的ですらあるプラグマチズムへの信仰がある。この種のポストモダン的な反唯名論が、アメリカの大学では分析哲学と並んで、きわめて強い影響力を誇る思考様式となっている。私の教える大学でも、例えばヘーゲルやハイデガーなどの思想家は文学科や美術史科で研究されており、哲学科で取り上げられることはごくまれである。
新たに組織され動員されたアメリカの情報発信ネットワークがアラブ世界やイスラム世界に是が非でも広めようとしているのが、これら驚くほど執拗な一連の「支配的物語」なのである。
根強く続いている異議表明の伝統は入念に隠蔽されている。この伝統こそがアメリカの非公式の対抗記憶をなすものであり、それは主にこの国が移民の国であるという事実によって説明がつく。こうした反対意見の表明は、上述の様々な物語素の交叉地点や、さらには内部ですらさかんに行われている。残念ながら、外国の評論家でこの「異議の森」に注意を払う者はほとんどいない。ふつうは目にとまらない様々な支配的物語素は、これらの進歩的、あるいは反動的な異論の群れにより、相互の間に脈絡をつけられ、訓練を経た目にはかたちをもってみえるようになるのである。
例えば、対イラク戦争へのきわめて強い抵抗運動を仔細にみると、アメリカという国のまったく異なるイメージが現れてくる。それは国際協力や対話にもっとずっと前向きなアメリカである。アメリカの人的損失や作戦のコスト、そしてすでに悪化した経済への深刻な影響をあげて戦争に反対している多数の人びとのことは、措くことにしよう。邪悪な外国勢力、国連、不信心の共産主義者たちによってアメリカは中傷されていると考える保守主義者たちの群れについても、語るのはやめておこう。リバータリズム(完全自由主義)と孤立主義を組み合わせた左翼と右翼との奇妙な連合については、ここではそれ以上に言うべきことはない。
経済グローバル化を筆頭にアメリカの外交政策のほぼすべてを大きく疑問視する相当数の学生集団も、ここでは検討せずにおくべきだろう。理想に燃え、時にアナーキズム的な行動をとるこの学生たちの集団は、ヴェトナム戦争や南アフリカのアパルトヘイト、また自国の公民権運動のような問題に際し、アメリカのキャンパスを広く動かしたのである。
それでもまだ、検討対象として、様々な経験共同体、意識共同体が残される。これらの共同体はヨーロッパやアフリカ、アジアでは左翼と呼ばれるものに帰属するが、アメリカでは強力な二党体制のため、第二次世界大戦後には議会左翼や社会主義運動のようなものは何ひとつ存在しなかった。これらの共同体の筆頭は、アフロ・アメリカン集団のうちの急進派である。この都市部の集団は、警察の暴力、雇用差別、住居・教育政策軽視にたいする反対の声を上げており、その指導者にはアル・シャープトン師、コーネル・ウエスト、モハメッド・アリ、(威光は衰えたとはいえ)ジェシー・ジャクソンがおり、ほかにもマーチン・ルーサー・キング・ジュニアの継承者を自認する人びとがいる。
この運動と結びついているのが、ラティーノやネイティブ・アメリカン、ムスリムなど多くのほかのエスニック集団であり、それぞれが地方政府や連邦政府への参入や、有名討論番組への出演、財団や大学、大企業の役員就任を目指して多大な精力を注いでいる。だが、これらの集団の大部分は、総じてみると依然として野心よりはむしろ不公平や差別を被っているという感情に突き動かされている。したがって、白人中流層を主とした「アメリカン・ドリーム」に彼らが完全に同化することはない。アル・シャープトンやラルフ・ネーダーといった人びとにおいて興味深いのは、その存在が目立ち、また多少なりと許容されているにもかかわらず、非妥協的で、社会の型どおりの報償にあまり関心を示さないがために、相変わらずアウトサイダーで、始末に困る人間とされていることである。
異議申し立ての潮流のなかでもうひとつの重要な柱となっているのは、人工中絶権、性暴力やハラスメント、職業上の平等などを訴えて闘う広範なフェミニズム運動だ。同様に、通常は声を上げることもなく、個人的な利害や出世を関心事とする専門職の一部(特に医師、弁護士、科学者、大学研究者、また労働組合や環境保護運動の一部)も、その社団的な性格から社会秩序やそれに由来する要請を重視しつつも、私がここに挙げる対抗運動に大きな力を与えている。
組織化されたユダヤ系コミュニティの一部には、つねに自国や外国のマイノリティの権利のために闘ってきた歴史がある。しかしレーガン政権の発足、新保守主義運動の台頭、イスラエルと宗教的右派との結託、イスラエル批判と反ユダヤ主義を同一視しようとするシオニストの熱に浮かされたような活動とともに、さらには「アメリカ版アウシュヴィッツ」の恐怖もあって、この勢力の肯定的な影響力は大きく失われてしまった。
そして最後に、反戦集会や抗議デモ、平和的反対行動に参加しようとする数多くの集団や個人は、頭を麻痺させるような愛国心顕揚の声から距離を置いた者たちである。彼らはパトリオット法によって脅かされた市民的自由(表現の自由を含む)の擁護のために集った。死刑への抗議行動、またグアンタナモ収容所内での虐待への抗議行動、軍の非制服組にたいする不信感の広がりや、人口比で世界最多の囚人(しかも有色人種の男女が圧倒的に多い)を収監し、民営化が進められつつある刑務所制度にたいする当惑、こうしたものすべてが中流階層の平穏を絶え間なく揺るがしている。
それとともに、サイバースペースでも公式のアメリカと非公式のアメリカとが乱闘を繰り広げている。深まりつつある貧富の溝や、企業幹部の信じがたい浪費と腐敗、貪欲に推し進められた様々な民営化のあげく社会保障制度に生じた危機など、混乱を撒き散らす数々のモチーフが、あれほど称揚されたアメリカ資本主義システムの美点を圧迫し続けているのである。
対外的には好戦的で経済面では危険なまでに単純な視野しかもたぬこの大統領の背後で、アメリカは真に一体なのだろうか。換言すれば、アメリカのアイデンティティはもう完全に固められてしまったのか。そして世界の他の国々は、アメリカの軍事的威力の陰で(米軍は世界数十カ国に駐屯している)、おとなしくしない地域のどこにでも「アメリカ人全員」の賛同によって戦争を仕掛けてくる一枚岩的な塊の陰で生きることを学ばねばならないのだろうか。私はここでアメリカを別な視点で見る見方を示唆しようとした。意見の対立に満ちた国、一般に認められるよりもはるかに異議申し立ての盛んな国としてのアメリカである。様々なアイデンティティの深刻な対立に揺れる国としてのアメリカ。人が好んで言うように、アメリカはなるほど冷戦に勝利したのかもしれない。だがこの勝利が国内にもたらした結果はまるで明白ではない。闘争は終わっていないのだ。行政府が一手に握る軍事・政治力にばかり目を向けるならば、今なお続き、決着したとはとても言い難い内部対立構造を見逃すことになる。
F・フクヤマの歴史の終焉論やS・ハンチントンの文明の衝突論の最大の誤謬は、両者ともに諸文化の歴史が明確な境界線、あるいは起点と中間、終点に区分される時の流れの問題にすぎないとの誤った前提に立っている点にある。実際には文化的・政治的領域とはアイデンティティをめぐる闘争、自己規定、未来へ向けた企図が渦巻く場なのだ。文化とは、そしてとりわけアメリカ文化とは、ひとつまたひとつとやって来る移民の層の混合体である。グローバル化の思いがけない帰結はこの点にある。人権運動、女性運動、反戦運動のように、グローバルな利益に向けての国境を越えた共同体が出現する。アメリカはこれらすべてから孤立した存在ではない。ひとつのように思われる見かけの背後にあるものを見きわめ、この論争のなかに分け入らなければならない。世界中の数多くの人びとが、そこに関係してくるのだから。希望と励ましは、まさにその点にこそ見出されるのだ。
(1) 2003年1月16日号。
(2) イクバール・アフマドは、インドで生まれ、アメリカに渡り、シカゴ大学等で教鞭を執ってきた思想家・著述家。N・チョムスキーらとともにヴェトナム戦争に反対し、マルコムXといった政治指導者やF・ファノンをはじめとする世界各地の民族解放思想家、反帝国主義思想家と交流がある。邦訳書『帝国との対決』(大橋洋一ほか訳、太田出版、2003年)。[訳註]
(3) ジュリエット・B・ショア『浪費するアメリカ人』(森岡孝二監訳、岩波書店、2000年)
(4) Linda Symcox, Whose history ? : the Struggle for national Standards in American classrooms, Teachers College Press, New York, 2002.
(2003年3月号)
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