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(回答先: 白装束集団、公安調査庁が動向を調査中 [読売新聞] 投稿者 あっしら 日時 2003 年 5 月 09 日 15:26:47)
●(((((((((((((((((((((( ESPIO! ))))))))))))))))))))))●
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《公安情報 ESPIO!》
■ 「予告」 Vol.204 05/09/03
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●HP(登録・解除) http://www.emaga.com/info/xp010617.html
1.また出た次長のパフォーマンス
公安調査庁が「白装束の集団」に関心を持っているそうだ。
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20030507k0000e040091000c.html
オウム事件で大失敗を犯した公調としては、あつものに懲りてな
ますを吹かねばならいのだとしても、流行の話題に飛びついて存在
感をアピールしなければならないのは、リストラ官庁の悲しい性で
ある。
パナウェーブも「タマちゃん」に絡まなければ、これほど集中砲
火を浴びなかっただろうにと思いつつ、そもそも一匹のアザラシに
何の関心もない筆者としては、もちろん彼らがどうなろうとさした
る関心はない。
なお、栃木庄太郎が過去、朝鮮総聯への破防法適用をも匂わせる
というパフォーマンスを披露していたことは、既報のとおりである。
http://www.emaga.com/bn/?2002110041071173014227.xp010617
2.取り組みの対象
公調は98年から正式に「カルト班」を調査第一部第一課に立ち
上げている。
いったい何をしていたかというと、新宗教、新々宗教に関する団
体データベースの作成を開始したのである。
というと何だかおどろおどろしいが、大多数の団体については公
然情報の域を出ず、具体的には『新宗教・教団人物事典』など既存
の文献を整理して、
http://www.koubundou.co.jp/books/pages/kbn8143.html
所定の団体原票にデータを入力するに留まっていたわけだ。
もっとも、何の独自調査や協力者工作も行われていなかったわけ
ではなく、当時は「ヤマギシ会」
や「顕正会」
http://web.archive.org/web/20011004142643/http://home7.highway.ne.jp/yoshida/
の動向等が一応注視されていたのだった。
公調は2001年版の「内外情勢の回顧と展望」(2000年の
情勢のとりまとめ)の中で、「特異集団による事件が繰り返し発生
し、国民不安を招いた」として、信者から多額の現金をだまし取っ
て訴えられた「法の華三法行」の活動を取り上げる一方、「公的機
関の職員を取り込み、国家機関の中で影響力を行使しようとする者
が出てくることも懸念される」と警鐘を鳴らしている。
このうち後者は「顕正会」を指していたものと考えられる。
3.カルト班
以上のように説明すると、「公安調査庁もそれなりに新しい治安
動向に対処しているではないか」と考える読者もいるかもしれない。
しかし、98年当時の組織体制は実際のところ次のとおりである。
<参考>一部一課配置図(98年当時)
http://homepage3.nifty.com/argus/s1p.gif
(機構改革直後の同課組織機構図には「カルト調査」がまだ明示的
に挙げられていない)
http://homepage3.nifty.com/argus/s1.gif
この赤枠で囲んだ部分が「カルト班」である。
ラインで3名だけというのはさて措くとしても、班長(当時)の
西弘貴は実は、警視庁公安部からの併任者だった。
本当に「カルト調査」が今後の中心的かつ重要な業務になると考
えていれば、いわば「外様」に席を譲ったりしない。たとえば仮に
公調が質のいい情報を入手しても、それがそのまま公安部に抜けて
しまい、せっかくの手柄を奪われてしまいかねないからだ。
西が「カルト班」の課長補佐に充てられたのは、本当のところ公
調が、同業務を、情報が抜けても支障のない、「どうでもいい仕事
」だと捉えていたからに他ならない。
4.公安総務課
西は公安部は公安部でも、あの悪名高い「公安総務課」の、「調
査担当」であった。
その後、「ハイテク犯罪担当」の公安部管理官などを勤めたよう
であるが、公調在籍当時、定時退庁をして、有楽町方面にトボトボ
歩いていく同人のヌボォとした印象は、「ハイテク」という語感か
ら程遠く、とても意外である。
西とは対照的に、やたらテキパキしていた前任者の東條勝夫も、
http://homepage3.nifty.com/argus/tojo.jpg
公総から公調に派遣されていた。東條は、本人の言よれば、公安三
課で右翼工作一筋だった人物で、筆者も警視庁で大盛つけ麺を奢っ
てもらったことがある。
今この稿を書くために当時のメモを参照していると、
###97/05/08木
東条から会社に電話。丸の内署,法政大,28の事務官との見合
いを進められる。
などとあり、そのとき一応会うだけでも会っていれば、ひょっとす
ると筆者の運命も激変していたかもしれない。
ちなみに、大盛つけ麺を奢ってもらった恩もすっかり忘れて付け
足しておくと、同人の息子は警視庁の採用試験に受かっていたにも
関わらず、なんと公調に入庁した(当時、関東公安調査局勤務)。
警察の仕事は厳しいので東條ジュニアには苦労をさせたくないと
思ったのだろう。
もっとも公調は、仕事の内容はともかく、組織を取り巻く環境が
格段に“厳しい”ので、はっきり言って判断を間違えていると筆者
は思う。
東條は当時、足繁く公調の企画調整室に足を運んでおり、初めは
単に暇つぶしに遊びに来ているのかと思ってしまったが、よくよく
チェックしてみると、いずれも政令改正や破防法棄却、行革会議、
法改正といった重要課題の節目節目の日程ばかりで、何らの必然性
もなく同室に登場するので、やはり関連話題の情報収集をしていた
としか思えない。
ちょうど、物事が動き出すと周辺にスパイ記者が湧いて出てくる
ように、分かりやすいと言えば分かりやすい。しかし、仕事熱心な
ことは間違いない。だからこそ、その後、外事特別捜査隊長から万
世橋署長に出世したのだろう。
―公調のことをよく知っているはずの東條が、柴田祝(当時企画調
整室長)に頼み込んでまで息子を入庁させたことが、なおのこと不
可解に思えてくる。
5.予告
ついついどうでもいい昔話をしてしまった。
近況を報告すると、一昨日、筆者らは警察庁と警視庁を訪問した。
取調べを受けるためではもちろんない。
同日、また新たに一人、右翼団体最高幹部と接触した。
関係者にとってはすでにご承知のとおり、東條のもといた公安三
課はもちろんのこと、警視庁全体を震撼をさせるような、恐るべき
ワークが進行しているのである!
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情報発信者:野田敬生(hironari noda)
(引用者注記:以下省略)