現在地 HOME > 掲示板 > 石原慎太郎3 > 122.html ★阿修羅♪ |
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今、戸塚先生のお話を聴き、「真理は現実のただ中にあり」という言葉を思い出しました。それとともに、私が次に話している最中、戸塚先生から「その言葉の定義を言え」と言われればどうしようかと、思っていた次第です(笑)。
さて、「“衰亡”の風に立ち向かうために」という題ですが、「衰亡の風」というのは、マスコミが起こすものです。それが我々の心の中を吹き抜け、我々は羅針盤を失いながら、ついにはマスコミの起こす風と共に、羊のように移動していく、ということです。では、それに立ち向かうためにはどうすればいいのでしょうか。
それを考える前に、私が常々興味を持っている国防というものの中で、私がヒントを得たことをお話させて頂きます。
◆戦術の歴史と国防
まず、戦術についてです。戦術の歴史は3つあります。初めは「号令」による戦術です。
例えば、織田信長は、桶狭間で今川義元の陣営を自らの目で見て、「目標は、今川義元の首一つ」という号令を発し、それを受けて全軍が突入しました。これを「号令の戦法」といいます。
これは、当時のヨーロッパの戦争もそうでした。ギリシャ・マケドニアの、ファランクスという軍団の編成が、ローマの縦走兵の戦略になり、カエサルはそれによってガリアを平定していきます。しかし、指揮官は自らの目で見る範囲の軍勢にしか、号令を発し得ないわけですから、1万〜2万人を指揮するのが限度だったろうと思います。
これを打ち破ったのは、ナポレオンの「命令戦術」です。つまり、軍司令官連中に、「命令」と「任務」を与えることです。それによって、ナポレオンは10数万の軍隊を、自らの手足のごとく動かすことができました。これにより、ヨーロッパは席巻されていきます。
◆「命令」から「訓令」へ
しかし、このヨーロッパの中で、ナポレオンに席巻された1つの国家から、ナポレオンの「命令戦術」に打ち勝つ戦術が生まれてきました。有名なのは、クラウゼビッツの「戦争論」です。これは「訓令戦術」「訓令戦法」と言われるものです。
「命令戦法」というものは、命令を発する者の意図と、それを受ける者の任務を明確にして、命令を発します。しかし、「訓令」というものは、命令を発する者の意図だけを示し、後は軍司令官の自由な裁量にゆだねるというものです。
ナポレオンに立ち向かうためには、ナポレオンの「命令戦法」では土台無理でした。従って、「訓令」というものが出てくるわけです。これでもナポレオンは、局地局地では勝ちます。しかし、時間の経過と共に、思わぬ展開を見せる各戦域、東西100kmに渡る前線を持つ戦域において、ナポレオン1人で全ての命令を発することは、人間の限界を超えることとなったのです。
さらに、ナポレオンの将軍達は「命令を受けたことだけをする」という習慣がありますから、命令のないところでは動けません。それに比べ、「訓令戦法」と言われるものは、意図は明確に示されているが、それを実現するための任務を具体的に決めるのは、その意図を持った人達です。ですから、十数名を指揮する少尉といえども、自分自身で、変化する状況に対応する最良の力を発揮してきます。そして、戦争全体として、ナポレオンに打ち勝っていきました。
◆マスコミは「号令」で動く
さて、我が国の「衰亡の風」を起こすマスコミというものは、私の体験的結論ですが、「号令戦法」でしか動かないと言えます。
私が防衛政務次官を辞任後の記者会見で、記者から「あなたは核武装の議論、または国防の議論をまた言うのか、また同じことを言うのか」と言われた時、「それは当然である」と答えました。さらにその後、「あなた方は近い将来において、自分達がなぜこのような大騒動をしたのか、朝から晩まで、私の寝ぐらまで押し寄せて大騒ぎしたのか、その理由を説明できなくなりますよ」と言ってやりました。
「号令」を受けて突っ込んで来る者は、自分がなぜ突っ込んでいるのかが分かりません。マスコミもそうだと思うんです。分からないから、彼らは自らのことを謝らないんだと思います。そして、これは実に、戦前戦後を通じて変わらない、マスコミのパターンです。
戦前は、斎藤隆夫議員のいわゆる「反軍演説」を、「失言」という一言で片付け、「議員除名の方向か」という、自ら意図する方向に見出しを書いた朝日新聞。それが、戦後一貫して「反戦平和」の「号令」に突き進んでいるんです。戦前は、「聖戦完遂」の「号令」に突き進んでいたのにです。
しかし、これは自分で自分のことを説明できないわけですから、実は我が国に吹いている「衰亡の風」は、ぜい弱であるといえます。つまり、「号令」を受けて稲穂のようにかかってくるものは、一見力強く見えながら、実はぜい弱であるということを、皆様にご報告させて頂きます。
では、この「号令戦法」に基づいて押し寄せる「衰亡の風」に、いかに立ち向かうのかと言えば、我々は「訓令戦法」により、各々の人生、各々の直面するフロントにおいて、立ち向かおうではないですか。これが、私の今日の提案です。
◆学生運動も「号令」
私は昭和23年生まれで、大学に入った時には大学紛争の真っ只中でした。大学には8年間行きましたが、そのきっかけは大学紛争です。
当時、キツネが憑いたように、皆が同じことを言い始めました。「学生が主体となって、抑圧された人民を救うんだ」とか、訳のわからないことです。その時、私は教室で、「お前、抑圧されたなんてよく言うな。俺は勝海舟ではないが、毎日、京都の路地を歩き回っている。昨日、あそこの家では夕飯の時、みんなが幸せそうに食べていた。お前はそんなことを見ずに、抑圧されたなんてええっ格好を言うな」と言ったところ、「西村はもう相手にしてはならん。あいつは知能指数が低いんだ」ということになり、私にはみんな寄って来なくなりました(笑)。
そうこうする内に、けったいな奴が5〜6人、これは民青だと思いますが、居丈高になって、私が大学に入るのを阻止するようになりました。相手は何か棒みたいなものを持っています。先程、戸塚先生は「立ち上がっただけで殴らなかった」と言いましたが、私は相手が5名ですから、こちらに言い訳がたちます。そこで敢然として、というよりとっさに手が出て、その中の1人、1番ゴツイ奴のあごを殴りました。するとあごの骨が折れたんです。彼らは日頃「警察権力に反対だ」とか何とか言っていますが、警察を使って告訴してきました(笑)。そして私は大学に行けなくなったんです。
しかし、こういうことがあったおかげで、「号令戦法」で一斉に同じ事をしゃべってくる奴に対する、私の一貫した対抗パターンができました。
◆国会まで「号令」で動く
例えば、5年前、戦後50年の「謝罪決議」というのが国会で取り上げられました。まさしく、みんながキツネに憑かれたように、「謝罪決議をしなければならない」と言い始めました。ある女性議員は、「もう、私は謝罪なしでは、私の良心が許しません」と泣くわけです。現実にそうなんです。この時、「これは皆キツネが憑いてしまった」(笑)と、私は思いました。皆が「"号令"によって動いている」と。
「号令」によって動くというのは、「行け」か「止まれ」です。もっと極端に言えば、「行け」だけ、これが「号令」です。この「行け」だけで、女性議員は泣くし、「本当に国会というのはこのレベルか」、というような惨状を呈したわけです。
その当時、私は民社出身ですが、新進党に民社が解党したため、涙を飲んで新進党にいました。そして、鳩山邦夫さんが新進党の「謝罪決議案」のまとめ役、座長でした。自民党は社会党とくっついていて、全体的に、社会党の土井たか子さんとか村山富一氏とかの方向に流されていました。
従って、全体としては「謝罪決議」の方向に向いています。「50年前は悪うございました」という方向です。この時の新進党は分裂寸前で、その中で、社会党・自民党案に対する新進党案をまとめねばなりませんでした。しかし、この新進党も同じような「号令」の下に動いていたんです。
◆精神の本当の思いが「号令」を打ち砕く
そこで私は、独自の新進党案を提出しました。それは、「戦後50年経ち、振り返るに、戦(いくさ)に負ければこれほど悔しいことはありません。憲法も変えられました。教育基本法も押しつけられました。従って、戦負けて50年、『今度戦争をする時は必ず勝つ』という決議をしようではないか」、と言ったんです(笑)。
これを受け、「おお」と興味深そうに笑ったのは小沢一郎だけ。その時の鳩山邦夫、羽田孜らの唖然とした顔を見て、「こうだ、"号令"によって動いていく奴を打ち砕くには、本音、ええ格好なしの、精神の本当の思いをぶつけるしかないんだ」と思いました。
さらに、私は、私の案に反発した羽田孜に、こう反論しました。
「あなたも憲法は変えねばならないと思っているでしょう。その憲法はなぜ変えねばならないんですか。戦に負けて占領軍に作られたものだから、変えねばならないんでしょう。そして、我々が民主主義国家の国民であり、議員であるというなら、我々の意見で変えねばならないでしょう。そういう憲法、国家の根本規範まで作られ、戦に負けたら悔しいではないですか。悔しくはないんですか。戦に負けて1年後の決議ならともかくです。当時は占領軍に占領され、恐怖政治を受けていましたから。しかし、戦後50年経った今、国会が決議すべきことは何でしょうか。それは、『負ける戦は絶対にしない』ということです。『戦をする時は必ず勝つんだ』という決議でなければならないでしょう」
こうしてみると、戦前戦後を通じ、我々は「号令戦法」によってしか自らの人生を生きられなかったのではないでしょうか。それから脱却するきっかけは何でしょうか。
考えてみれば、1つの民族を消滅させること、そのアイデンティティーの意識を消してしまうことというのは、その国の歴史を奪うことです。だとするなら、我々は今再び、この我が国の歴史を振り返る必要があると思います。そして、我が国の歴史において、占領軍によって憲法改正まで押しつけられ、また、それが押しつけられたものではないと思い込みまでさせられた、大東亜戦争の敗戦というものを、思い起こさねばならないでしょう。これを、私はいつも、「こうすれば勝てたんではないか」という思いで思い返しています。
◆近代国家の国防には「訓令」が必要
例えば、真珠湾の攻撃をした、連合艦隊の司令長官南雲という男。この男は「号令戦法」でしか生きていなかったから、あの真珠湾を、あの程度にしか撃破できなかったんです。つまり彼は、「寝ているおっさんをどつきにいった子供が、一発どついて、起きてきたら怖いから逃げ帰ってきた」というようなことをしたんです。
しかし、もし彼が、「訓令」による戦法によって訓練された人間なら、こう考えたでしょう。「空母が発見できない。それなら代わりに、空母の修理と、燃料補給をするドック、及び給油施設を全て破壊すればそれで済む。アメリカの空母は、サンチアゴまで戻らねばならなくなるから」と。もしも、そうしていれば、ミッドウェー海戦も起こらなかった可能性があります。
そして私は、何より山本五十六という男が、国家を破滅させる男だったと思っています。海洋国家である我が日本の守りは、海軍でなければなりません。それも、日露戦争までうまくいっていたように、陸海空の統合的な戦略、リーダーシップに基づく、各々「訓令戦法」に生きる将軍達によって、守られねばならないと思います。
もしも、山本五十六に、世界は何を戦争の手段として、我が日本に対抗しているのか、我が日本は何を戦争の大義名分としているのか、ということを見つめる目さえあれば、あのような稚拙なことはしなかったと私は思います。先程の南雲に、自分が真珠湾を攻撃する戦略的意味や、その前提としての空母の持つ意味や、空母が何によって動いているのか、といったようなことを考える力があれば、真珠湾攻撃の様相が変わったであろうと同様にです。
大西洋憲章において、ルーズベルトとチャーチルは「自由と人権のために戦う」というような政府宣言を発しています。アジアにおいては、そのほとんどは、アメリカ、イギリス、オランダ、フランスの植民地で、自由を奪われていました。我が国はまさに、アジアの人達と戦うのではなく、アジアの自由を奪う白人と戦ったわけです。
日本の連合艦隊は、マレー沖でプリンスオブウェールズとレバルスを沈め、インド洋に入り、イギリスの連合艦隊をセイロン近くまで追いかけ、撃滅寸前まで追い詰めました。しかし、そこで日本の連合艦隊は急きょインド洋から出て、ソロモン沖とかミッドウェーとか、そういう所に向かいました。
ここで少し考えてみて下さい。その後の歴史の中では、ビルマ戦線に30万人の陸軍が投入され、19万人が戦死しています。これは、インドから重慶の蒋介石に対し、蒋介石支援ルートが開いていたからです。それを閉めるために、灼熱のビルマに30万人が投入され、そのうち19万人が戦死したんです。
しかしながら、イギリスの富の40%を支えるのは、インドからイギリスへの補給路でした。それさえ絶てば、イギリスはビル・アラメインでロンメルに負けたでしょうし、イギリスから切断されたインドは独立を果たしたでしょう。また、インドから蒋介石のいる重慶への、支援ルートも開かなかったでしょう。そうなれば、30万人の軍勢を投入して、19万人が戦死したビルマ戦線の戦いは必要なかったはずです。たった1つ、日本の連合艦隊が、インド洋でイギリス艦隊を撃滅さえしていればです。
◆思考のダイナミズムを歴史から学ぼう
近衛内閣以来、日華事変の早期収拾を唱えている内閣が、歴代、その具体的方策を示すことなく、交代していきました。そして泥沼の中に入っていきました。
蒋介石の継戦能力は、蒋介石に対する西側諸国の支援があればこそでした。これをなくしていれば、蒋介石との和平は可能だったでしょう。
そして、インドが独立する気運を示せば、イギリスは大西洋憲章で「民族の自由」とか「民族の自立」とか言っていますから、インド独立を阻止する大義名分は失われたはずです。また、インドが独立すれば、イギリスの継戦能力は絶え、我が日本と講和を結ぶ背景ができてきます。
このように、戦略的思考を持って歴史を見直せば、教訓はたくさんあります。その歴史が繰り返されているんです。今より前の歴史は、ある意味、今とは正反対の方向の"ええ格好しい"が作ったものと言えます。しかし、"ええ格好しい"としては同じです。「国を衰亡させる、国民や政治から、思考のダイナミズムを奪う」という点では同じなんです。我々は今、この、戦前戦後を通じて変わらぬ「衰亡の風」に立ち向かうことができる、そう私は思っています。
◆アイデンティティーを失った国・日本
我々は聖人君子ではありません。これは誰でも分かります。そして、19世紀までの歴史も分かっています。55年前、我が国が戦争を終えた時、地球の陸地面積の80%以上が西洋の植民地であった、という事実も分かっています。そして、グロチウス以来の国際法は、「戦争を善か悪かで見るのではなく、戦争とは国家の権利であり、合法である。ただその合法な戦争の中で起こる犯罪は、戦争犯罪として取り締まるべきだ」としています。こういう思想が、20世紀中頃まで続いていたということも、我々は分かります。
しからば、その思想の下で戦われた55年前の戦争を、なぜ、善悪で裁くということに何の疑いもなく、我々は屈服しているのでしょう。これは、先程も言ったように、「歴史を奪う、民族を消す」ということにつながります。歴史を奪えば、再び一等国にはなりません。一等国民にはならないんです。こういう鉄則に基づいて練られた、相手の戦略なんです。これを我々は見抜かねばなりません。
レフチェンコという人のことを例に挙げます。彼はソビエトのKGBのスパイですが、20年前、東京からアメリカに亡命しました。彼は、アメリカの軍事外交委員会で、「日本は"スパイ天国"です」と証言しました。彼はまた、その理由をこういっています。「日本人で、私が使ったエージェントは政界、経済界、マスコミ界、官界に数百人います。彼らは、我がソビエトに協力しているという意識なく協力してくれました」と。
いかなる売国奴の政治家でも、「弱みを握られ、屈服したから、敵国に我が日本を売る」というなら、まだ分かります。「日本の国益を敵国に売った」という自覚があれば、"スパイ天国"ではありません。しかし、我が日本は、レフチェンコのいうように、自国の国益というものについて考えたこともない政治家に動かされています。ですから、国益を売り渡したのかどうか、自国日本に害をなしているのかどうか、それを判断する基準すらなくなっているんです。
そこで、レフチェンコの証言からさかのぼり、我々の目となり耳となるマスコミはどうか、それによってコントロールされる国民はどうなのかを考えてみます。すると、相手の戦略、「我が国を民族として消し、二度と再び、アイデンティティーを自覚する国民にさせない」という戦略に、引っかかるという意識なく引っかかっている、こう思わざるを得ません。
全ての教科書、中学生の教科書にも国際法の事は出てきます。その中に、「戦争犯罪はともかく、戦争というものが合法であり、善悪の区別で裁くことができないものである」ということが書いてあると思います。しかし、自国の歴史に関しては、「日本は悪いことをした」ということにつきます。これは、やはり本当に強烈なマインドコントロールでしょう。
しかしながら、現在においても降りかかる、その戦略に基づいて形成された我が日本列島、及びその周辺にある雰囲気、空気を利用して、我が国家に要求を迫るものに対し、我々日本国民は声を上げることができます。
◆北朝鮮だけが植民地支配で謝罪を要求している
例えば、北朝鮮から「謝罪と賠償が先だ」というような要求を、我々日本国民は伝えられています。我が国の政治家とマスコミ、そして官僚は、それに明確な反論はしていません。そこで我々の出番です。政治家が反論できないのは当たり前。河野洋平がいる限り、反論などできるわけがありません。(拍手)
今、国連の加盟国が200近く。50年前、我が国が敗戦に見舞われた時から増えた国が100以上。その全ての国が、植民地からの独立でした。そして、その全ての国、南北朝鮮以外の国は、植民地支配に謝罪を要求したことはないし、謝罪を要求するいわれもないとしています。それなのに、北朝鮮だけが謝罪を要求しています。
だいいち、西洋の例にならった植民地支配と、日韓併合条約に基づく日韓併合が、同等の植民地支配としてみなし得るのか否か。これこそ、詰めて考えねばならないことでしょう。もし賠償と言うなら、「損害とは何かを立証しろ」というくらいの反論が、なぜできないんでしょう。
もしも損害を与えたなら、悪いことをしたのなら、その法律の原則に基づき、損害を受けた方が挙証責任があります。
朝鮮半島の人口、1,900年は800万人足らずでした。李氏朝鮮300万年の間、ほとんど700万〜800万人の間を推移し、朝鮮半島の人口は増えることがありませんでした。それが、1,910年から20年たった時点で、人口1,900万人に迫っていたということです。約2倍です。それなら、「"過酷な植民地支配"で人口が2倍に増えるものか」くらいのことは言えるでしょう。(拍手)
朝鮮半島の人口が増えたのは、 食えるようになったからです。
◆歴史の流れの中で起きた日韓併合
ただ、封建的特権階級は近代化の妨げです。我が明治維新においても、土地私有制度を確立し、ある意味では西南の役までの内戦を経て、それを実現せざるを得ませんでした。しかし、朝鮮は、それが自力ではできなかったんです。
ところが、日本は、朝鮮に近代的土地私有制度を確立しました。当然、封建的特権階級からは反撃を受けます。それでも、日本が明治維新でやったように強権をもってそれを実現しなければ、福沢諭吉が言ったようになったでしょう。
「我が国だけが石造りの建物を建てても、隣に木造の廃屋があり、そこに出火すれば、我が国まで延焼してしまうではないか。朝鮮半島が、欧米諸国、特にロシアの植民地と化するに及んで、我が国の近代国家建設の孤独な歩みが、我が国の独立国家としての前提が、重大な脅威を受けるではないか」と。
まさに、そのような危機感に我が国はあったんです。大陸の情勢は、今以上に重大な危機的要素をはらんでいました。なぜなら、朝鮮半島から清国が撤退した真空の中に、ロシアが流れ込もうとしていたわけですから。そして世界各国は、日露戦争後の朝鮮半島の不安定が、国際関係に及ぼす影響を懸念し、日韓併合に何ら異議を唱えなかったんです。こういう中で、我々のご先祖は、日韓が同じ国家となるということをしたわけです。
先程言ったように、20年経って、人口が2倍になるなどとは、清国に支配されていた朝鮮半島では思いも及ばないことでした。ですから我々は、「補償と謝罪と賠償を要求するなら、その根拠を示せ」ということを、充分言えると思います。政府が言わない代わりに、我々がありとあらゆる機会を通じて言えばいいんです。
◆「地雷全面禁止」という美名の裏の「戦略」
我々は、「自由」だとか「人権」だとか「民主主義」だとかに流されやすい風潮を持っています。これも国際政治の中における1つの戦略です。食糧には食糧戦略があり、エネルギーには石油戦略があるように、「自由」にも戦略があります。「自由」を叫ぶ者が、戦略をもって何をしようとしているのか、是非皆さんに知って頂きたいのです。
「地雷全面禁止条約」というものが2年前に締結されました。当時、小渕外務大臣が、カナダのオタワで行われた「オタワプロセス」というものに飛びつきました。私はこれにたった1人反対しました。
アメリカは地雷なくして戦闘を行った場合、アメリカ軍兵士の30%が死傷率として増加します。地雷があって戦うのと、なくて戦うのとでは、30%の差。つまり、地雷なしで戦えば、10人のうち3人が多く死ぬんです。だから私は、「オタワプロセス」に反対したわけです。
当初、アメリカと日本は歩調を合わせていましたが、日本だけ脱落し、「オタワプロセス――地雷全面禁止条約」に飛びつきました。しかし、アメリカ、ロシア、中国、韓国、北朝鮮、全て「地雷全面禁止条約」には署名していません。イギリス、カナダが署名しました。そして、今我が国が持っている地雷は、廃棄されつつあります。
ちょうど、平成9年度の予算に、地雷を取得する費用が計上されていました。その同じ予算年度に、小渕外務大臣は、「地雷全面禁止条約」に署名したわけです。これは、国家の方針として一貫性がありません。自ら地雷を取得する予算を計上した内閣が、地雷を廃棄する条約に署名したんですから。
しかしながら、私が何より憂慮するのは、海岸線の長い我が国家の防衛を、地雷なしでやる場合、アメリカ軍の試算以上に死傷率が増加するということです。それを国民が認めるなら構いません。国民の軍隊ですから。しかし、国民に何もその実態を示さず、ただ「ダイアナさんが死んだ」、「地雷全面禁止の活動をしている民間団体がノーベル平和賞をもらった」、そういうムードだけで飛びつくこと。これには反対だといっているんです。
ちなみに、我が国の持っている地雷は「スキャッタッドマイン」といい、1週間なら1週間、1カ月なら1カ月、時限を限って散布し、時限が切れれば自爆して害を失うというものです。中国やロシアがばらまく、いつまでも効力を保って、その上を歩く子供が足を吹っ飛ばされるというような地雷ではありません。
◆「美名」を隠れ蓑にしたカナダ
「地雷全面禁止条約」はなぜ提唱されたんでしょうか。これは、カナダが提唱してきました。そして、ダイアナさんが推進したんです。イギリスも後押しをしました。この条約の内容は、「地雷を散布した国」ではなく、「地雷が散布されている所を領土とする国が、撤去の義務を負う」というものです。ここが重要なところです。地雷を「散布した国」ではなくて、「散布されている所を領土とする国」が撤去の費用を負うわけです。
世界は、我が日本も直前まで、スキャタッドマインのような時限性の地雷はいいという方向にいました。しかし、突如として、ノーベル平和賞が地雷全面禁止の活動をしている民間団体に与えられました。そして、地雷全面禁止のボランティア活動をしていたダイアナさんが事故で亡くなる、ということが起こったんです。
カナダはなぜ、「地雷全面禁止条約」を人道の基に提唱したんでしょう。カナダは、PKO部隊を創設した国です。「ベストピースキーパー」――「最良の平和の守り手」という国際的賛辞を浴びた国です。そして、カナダのPKOは、創設国のPKOとして常に外で活躍していました。ここからが重要です。
ユーゴスラビアで展開されたカナダPKO部隊は、集団レイプを行いました。カナダ政府はそれをひた隠しにし、その部隊を本国に召還して解散しました。これにより、カナダの「ベストピースキーパー」という名誉は、地に落ちたわけです。カナダは、自らの国家の名誉を高めるために、ダイアナさん、そしてノーベル平和賞で脚光を浴びる「地雷全面禁止条約」に飛びついていったんです。そして、我が国家も飛びついていきました。
◆3,000万発の地雷を撒きっぱなしのイギリス
カンボジアには800万の地雷がありますが、カンボジアは「牧歌的」な国です。カンボジアで地雷に当たって足を飛ばされる人は、この広島で、自動車に当たって足を飛ばされる子供の数よりはるかに少ないのです。「牧歌的」とはそういう意味です。
広島は平和です。子供が歩いて学校に行けるのですから。しかしこの地でも、自動車にはねられ、身体に障害を持つようになる、または命を失う人の数は、やはりかなりの数になるでしょう。それでも、我々は広島を牧歌的だと思っています。カンボジアもそうなんです。あそこは自動車ではなく、地雷だというだけで。人が住め、畑が耕せ、ごくたまに事故が起こる所です。この広島の、自動車事故のように。
しかしながら、事故が一切起こらない所があります。それはどこかというと、人間が入れない所です。自動車事故の例でいえば、子供が表に出れば、確実に自動車にはねられ、命を落とす地帯ということです。それは、エジプトとスーダンの国境・エルアラメインです。ここに、イギリスは3,000万発の地雷を撒いて、いまだに放置しています。
カンボジアは牧歌的だから、たまに事故が起こって注目を浴びます。しかし、イギリスが撒いて放置している3,000万発の地雷、これは死の地帯と化しているわけです。ダイアナさんの母国イギリスなんです、これが。だから、イギリスとカナダは、「地雷が散布されている地帯を領土とする国家が地雷撤去義務を負う」という、「地雷全面禁止条約」に署名したんです。これが、人道という名の下に行われた「地雷全面禁止条約」のからくりです。
カナダのPKO部隊はユーゴスラビアで何をしたのか。それを挽回するための「全面禁止条約」、美名の下にある条約、それに我が国は飛びついていったんです。
私は、地雷における被害をゼロにするために、日本は頑張らねばならないと思います。しかしながら、カンボジアの地雷800万発の数倍もの地雷を撒いて放置するイギリスを、ほうかぶりすることはできません。「日本が撒いた地雷は全て撤去する。イギリスもやれ。日本はアジアだからカンボジアでやろう。あなたはいったん植民地にして、撒いたままで放置しているエルアラメインでやれ、3,000万発やれ」というのが日本の外交でしょう。(拍手)
◆文明の衝突が起きている
それからもう1つ、東ティモール。ティモールの人口は百万人にもなりません。しかし、ノーベル平和賞が、ティモール独立運動の指導者に渡されました。
彼らの顔を見て下さい。彼らの顔はアジアの顔ですか。彼らの顔はポルトガルの顔ではありませんか。ということは、20年前まで、ポルトガル植民地支配下において、ポルトガルの特権を持って現地アジアを支配していた、ポルトガルの混血、及びポルトガル人に対してノーベル平和賞を渡しているわけです。
「20年前の特権を今再び」という活動がそこにあったこと。同じカトリック教国である、キリスト教国であるということで、ノーベル平和賞を渡したということ。これは明らかです。
また、ハンチントンの「文明の衝突」ということを耳にされた方がおられると思います。「イデオロギー終焉の後の国際紛争は、文明の衝突である」、イスラム文明、儒教、日本、そしてキリスト教文明。このような文明の衝突であるという図式の下に、西洋の戦略が成り立っていると仮説を立てれば、この仮説は見事に当たります。
インドネシアは、南北5,000kmに渡るイスラム教国です。東ティモールはその東の方にあるわけですが、その真下にオーストラリアがあります。これは、西洋キリスト教圏の出城です。出店です。そして、オーストラリアから、PKO部隊が東ティモールに入りました。
南のオーストラリア、東ティモール、そして今宗教紛争が行われているアンボン、フィリピン、この南北5,000kmは、キリスト教圏になるではありませんか。そして、東ティモールを独立させるということは、西側にとって何を意味するのか。それは、あのインドネシア海域に埋蔵されている天然ガス等の資源を、西側が握るということです。これが、ノーベル平和賞というものの戦略です。「独立」「人権」「自由」と国際社会が言う時は、裏に何か戦略があるんです。
これこそまさに、メジャー首相が、アジアのイスラム圏のど真ん中に、自らの権益を確保するための戦略なんです。
その証拠に、人口百万人にも満たない、20年前まで植民地支配していたポルトガルの混血に、ノーベル平和賞を渡すなら、なぜ、北アイルランド独立運動の指導者には渡さないのでしょう。北アイルランドは、イギリスから独立してもやっていけます。しかし、東ティモールはやっていけません。そこを、無理にノーベル平和賞を渡して独立させていく。背景には明らかに利権があります。
もし、純粋に利権ではない、東ティモールと同じ基準を当てはめようというのなら、スペインのバスク独立運動の指導者にもノーベル平和賞を渡すといいでしょう。アメリカ大陸のアリゾナ等の砂漠、居留地にいまだに押し込まれている、アメリカインディアンの指導者にノーベル平和賞を渡し、アメリカから独立させればいいわけです。しかし、これを西側はやりません。なぜなら、ノーベル平和賞というもの自体を道具に使う、戦略の下に彼らが動いているからです。
◆西洋の植民地の本質は"民族浄化"
アジアは50年前まで彼らの支配下にありました。彼らはアジアの人々を、「自由」も「人権」も「民主主義」も、認める前提としての人間だとは思っていなかったんです。トインビーが書いているじゃありませんか。「もし神が日本に指名を与えたとするならば、数百年に渡る白人の支配から、アジアを開放することであった」と。「我ら西洋人には、アジアの現地人は、動く樹木としか見られなかった」と。
50年前には、アジアの人間を人間と思っていなかった者が、やれ「自由」だとか「民主主義」だとか、それが足りないからといって経済制裁をしているんです。
我が国では経験しえない、マスコミも報道しないことですが、ノーベル平和賞をもらったアウンサン・スーチーさん。彼女は、ミャンマーの人達に「第二植民地主義者」だと言われているんです。しかし、これを我が国のマスコミは報道しません。なぜ「第二植民地主義者」なのか。
イギリスのビルマ植民地支配の手法はおわかりでしょう。イギリスは、ビルマ王室の女性をイギリス軍将校の妾にし、子供を産ませました。その子供を、ダージリンのイギリス人学校の寄宿舎に入れて教育をします。10年経てばどうなりますか。10年経てば、ビルマ人の顔をしてイギリス人の心を持った支配階級が生まれるんです。これがイギリスの、西洋の植民地主義の本質なんです。
西洋の植民地主義とは何か。我が日本のマスコミに躍る「植民地」という活字は、木へんの「植民地」です。しかし、西洋の植民地主義こそは「生殖」の「殖民」なんです。血を入れ替えるんです。民族浄化なんです。それを、そのものズバリの言葉でいえば、この日本では大騒動になったでしょう。しかし、イギリスの、西洋の植民地支配のやり方はそうなんです。だから、東ティモールの指導者、20年前までの指導者、そしてノーベル平和賞を貰った者も、ポルトガル人の顔をしているわけです。
さて、スーチーさんですが、彼女は14歳でビルマを離れてイギリスに住み、イギリス人と結婚して、イギリスに子供がいます。ノーベル平和賞でもらったお金は、イギリスで家を買って建てました。これは、イギリスがビルマを植民地支配した時の、「植民地」のショクは木へんではなく、「生殖」の「殖」だといったやり方と、同じではありませんか。
そして、スーチーさんは、日本の、ポリオ生ワクチン接種の援助をも非難したんです。これは、ペルーのトゥパクアマルと同じ論法ではありませんか。「日本の支配は、特権階級を利するだけだ」と、「だから援助はけしからん」というものです。ペルーの大使公邸を占拠したトゥパクアマルと、スーチーさんは同じことを言っているんです。
私は直ちに、ビルマのチャイ島近くの村に行き、ポリオ生ワクチンがどういう風に接種されているか見てきました。私は大使館の世話などにはなりません。ミャンマーは1人で歩きます。若いお母さんが、本当ににこやかに子供を抱えて、次々集まってきて、「日本、ありがとう」と言っていました。看護婦さんも、若いお母さんも、本当に楽しげで、安心した表情で、村に集まっていたんです。
アウンサン・スーチーは、イギリス人の心を持って、ビルマ人の顔をしていますから、チャイ島のその村に行ったこともなければ、ビルマ人という、自分の同胞の生活を知ったこともありません。あの貧しい国で、未だに1万坪以上の邸宅に住んでいるんです。自分の家で3,000名の集会ができるんです。それは、今のミャンマー政府が、建国の父であるアウンサン将軍の遺徳をたたえ、彼の邸宅を残しているからです。
このように、ノーベル平和賞というものも戦略なんです。
◆日本は「自分を守る葉っぱを食べる鹿」
それから、朝鮮の南北首脳会談ほど危機を醸成させるものはない、ということもお見知りおき下さい。金正日は戦略を何ら変えておりません。金正日は、自国民を450万人餓死させた体制を維持し、その餓死を代償にして開発したミサイルと核開発を維持するがために、南北対話を行っているんです。日本から金を取ろうと思っているんです。
今、まさにその絶好の好機です。なぜなら、アメリカは大統領選挙で1月まで機能不全だからです。アメリカ大統領が変われば、北朝鮮に対する圧力は格段に強くなります。クリントンほど、最低の大統領はなかったからです。彼は、アメリカ本土に届く大陸間弾道ミサイルを、アメリカの援助で作ってしまった大統領なんです。
日本のマスコミ、そして河野外務大臣のように、「南北対話は画期的なことで、万々歳だ」と言っていてはいけないんです。
明治の政治家の言葉を思い出します。「日露開戦だ。ロシアをやっつけろ」という。東大教授も、マスコミも騒ぎたてました。その時、伊藤博文が何を言ったかというと、「貴公らのご高説に耳を傾ける暇はない。俺は、軍艦と大砲の数に相談しているんだ」ということです。
さて、私どもは、「アホな外務大臣が、アホな政府の、またアホなマスコミの言っていることに耳を傾ける暇はない。在韓米軍なき朝鮮半島に、重大なる環境変化が起こる。それに、我が国が、今の憲法と、教育基本法と、自衛隊と、今の外交力と、今の政治の惨状でいかにして立ち向かうかを考えているんだ」と言わねばなりません。
広島の皆さん、無抵抗主義者ガンジーの言葉、これを覚えておいて下さい。彼がこう言ったんです、「国家間の友情は、核を持った国同士でしか生まれなくなった」と。
唯一の被爆国であることを、あたかも特権であるかの如く言い、日本は、ええ格好の衰亡の風に流されて、思考停止しています。だからインドに軽蔑されるんです。インドは、「広島になりたくないから核を持った」と言いました。
我々はアメリカの核の傘の下にありながらですね、イソップの童話ではありませんが、自らを守るブドウの葉っぱを食べているんです。いずれ、猟師に発見されるでしょう、イソップの童話の鹿のように。
「ノー・モア広島」もよろしいですけれども、2度と再びそれをさせないために、何をするのかと…。そう思ったらまた腹が立ってきて…。(拍手)
今、現実に我が国を狙っているのは、40数回の核実験をした中国の弾道ミサイルである、ノドンのさきっぽにつまれたサリンガスであるということだけは、ご報告させて頂いて、話を終わらせて頂きます。ありがとうございました。 (拍手)
http://plaza14.mbn.or.jp/~yacht/hiro3.htm