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経済学は社会科学であり、その対象は人間の行動である。これは当たり前だが、物理学をまねて作られた経済学は、一見きわめて厳密で、工学的に応用できるように見える。一九九〇年代の「景気対策」も、最近の「インフレ目標」も、そうした工学的発想である。しかし著者も強調するように、経済学は「複雑系」としての経済の一部を単純化して記述する模型にすぎない。マクロ変数を操れば経済を自在にコントロールできるかのような議論は、学問としての限界をわきまえない政治的プロパガンダといわざるをえない。
こうした「短期決戦」志向が強まっているのは、小泉内閣の「構造改革」の成果が上がらないからだろう。著者も十年前には国費投入による抜本的な不良債権処理を主張していたが、今は「慎重派」である。日本の不良債権をすべて処理するには、総額で百兆円近い国費投入が必要だが、財政にそんな余裕はないからだ。
不良債権の問題が解決したとしても、明るい未来が開けているわけではない。日本の銀行の最大の問題は、護送船団行政によって守られているうちに世界の金融技術やビジネスモデルの革新に取り残されてしまったことだ。銀行がリスクや情報を配分する機能を果たしていないため、企業がリスクを取って投資を行うことが困難になっている。これを改善するには、投資信託やノンバンクなど金融仲介機能の多様化によって「市場型間接金融」を拡大する必要がある。特に邦銀の大半は、小口の「リーテイル・バンキング」で生き残るしかないが、戦後の「キャッチアップ」段階で形成された「産業銀行」型の組織文化が変化を阻んでいる。
しかも日本経済の最大の問題は金融ではなく、製造業中心の産業構造が情報通信・サービスなどの新しい産業に対応できないことだ。こうした構造を内側から変えることはむずかしいので、基本的には市場で淘汰するしかないが、政府の景気対策は不良企業を延命して産業構造の転換を遅らせ、かえって「官」への依存を強めてしまった。
「なぜ変われないのか」という著者の問いは、銀行だけでなく政治や、それを許してきた国民に向けられ、「国が誤った行動をとっているとしても、それは結局、国民の統治能力に問題があるからだ」(三九ページ)という、あきらめにも似た結論に至る。十年間、改革を提案してきた著者が政治に絶望するのは理解できるが、こうした政治的意思決定や企業の組織構造を分析することも、これからの経済学の役割だろう。
この種の「制度」の問題は計量的な分析には乗りにくく、インフレ目標論者は「曖昧だ」と批判する。しかし自然科学的な装いを保つために困難な問題を避け、マクロ指標だけに関心を集中するのは本末転倒だ。日本経済の行き詰まりは、官も民も利害の対立する厄介な問題を先送りして、解きやすい問題だけを解いてきた結果である。それを打開するには、曖昧だろうと十年以上かかろうと、こうした「辛気臭い」問題に取り組むしかない。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/ikeo.html