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【Japan Inc Magagin 2003年5月号に「二つの日本」と題する私へのインタビュー記事が掲載された。以下は、私の当日の発言メモにもとづいて翻訳(意訳)したものです】
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「東京を訪れる人のなかには、「日本が不景気だとはまったく感じない」と言う人がいます。ピカピカの地下鉄はラッシュ時にも2、3分おきに運行しているし、消費者はあらゆる高価なブランド物を手にし、また、建築現場のクレーンは空を覆っている。東京は活気があり、繁栄しているように見える。
全国放送のコメンテーターである政治評論家の森田実氏は次のように語る――東京だけを訪れる人はそのような印象を持つかもしれない。だが、東京を離れるとすぐに二つの日本が存在することがわかる、と。今回は森田氏に首都東京と地方との間に広がりつつある経済格差についてお話しいただきました」(記者の前文)
【問】森田さんは講演のため日本中いろいろな場所を訪れる機会が多いと思いますが、地方でお気づきになったことをお伺いできますか。
【森田】地方の経済状況はかなり深刻なほど悪い状況になってきています。日本で唯一繁栄している場所は東京です。現在、この国にはバブル東京と不況の地方という二つの日本が存在していると地方の多くの人が言っています。
【問】「東京バブル」とはどういう意味ですか?
【森田】東京は日本の他の地域から独立しています。東京だけが繁栄しています。これは主に小泉内閣の政策の結果によるものです。小泉内閣は地方への財政上の締め付けを徹底的に行っています。地方に対する財政配分を将来も減らすことを明らかにしています。地方財政の悪化を理由に市町村を無理矢理合併させています。そのような小泉内閣の地方財政引き締め政策のもとで、地方経済は沈滞の一途をたどっています。
二つ目は、高度成長期に地方は東京をモデルとして東京を追いかけ追いつこうとしてきました。ですから各地方どこにでも「銀座通り」があるのです。しかし現在、東京を追うことは不可能になりました。その「銀座通り」は昼間さえシャッターが閉まった「シャッター街」と化しているのです。
地方では生活のやりくりができなくなった人々が増えています。もちろん東京にもいます。地方の人々の話題は、「このような状態(不況)がどのくらい続くのだろうか」「誰々が自殺した」「この先どうなってしまうのだろう」など暗い悲しい話ばかりになっています。
有力企業で本社を東京に移す会社が増えています。地方を捨てて東京に集まってきているのです。東京のほうがビジネスチャンスがあるからです。この傾向は大阪や名古屋でも見られます。儲かるところは東京だけなのです。ですから松下(大阪本社)の役員や労働組合幹部がいろいろな会合に出ますと、「松下だけは東京に行かないでしょうね」と必ず言われるそうです。地方経済の空洞化は続いているのです。
1年前にある県庁所在地に招かれて行ったとき、通りを歩いている人はほとんど見かけませんでした。「全然人が歩いていませんね」と案内の人に言うと、「1カ所だけ人が大勢集まっているところがあります。ご案内します」と言われて連れて行かれたところはハローワーク(職業安定所)でした。どこの市にも1カ所だけものすごく人が集まっているところがある――それがハローワークなのです。地方では失業率が急増しています。地方の実質の失業率は政府発表より4〜5%高いと言われています。
いま地方経済は非常に疲弊しています。タクシー運転手は地方では仕事にならないため東京に出てきています。アングラ社会のヤクザもそうだと言われています。東京の経済活動は活発です。高層ビルの建設ラッシュが続いています。高級品も売れています。これは私が「東京バブル」と言う現象の一端です。
ただ、地方には、繁栄の夢がなくなった代わりに真面目さが蘇ってきました。道義を回復しつつあるのです。貧しいが道義を回復しつつある地方、繁栄しているがすべてを儲けの対象と考えて道義を捨て、エゴイズムが横行し、しかも犯罪都市と化している東京――このように日本は二極化してきているのです。
【問】かつて日本では多くの人が平等主義を支持していましたが、最近、平等主義の社会を否定する政治家、学者、ジャーナリストが増えているようですが?
【森田】非常に増えてきました。小泉構造改革は、結果として、富める者と貧しき者、勝ち組と負け組、繁栄の東京と不況の地方という日本の二極分解を推し進めてきました。和と助け合いの日本社会のよき伝統までも壊してしまったのが小泉構造改革です。日本社会の伝統、文化、風土の破壊――ここに小泉構造改革の本質があります。
小泉内閣の「骨太方針」には次のようにはっきり書かれています。「今の日本は実力以下だ」「日本は本来もっと実力のある国だ」、と。
1970年代後半から、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(エズラ・ボーゲル)、「二一世紀は日本の時代」だなどと米国の学者から煽て上げられ、舞い上がってしまった政治家、官僚、学者は日本に少なくなかったのです。当時、米国は「双子の赤字」に悩んでいました。それを解決させるために行われたのが1985年秋の「プラザ合意」です。このときの日本は経済的に大変強くなっていました。実力以上の経済大国になっていました。70年代の二つの石油危機以後の成功によるものです。これはたまたま好条件が重なった結果でした。たとえていえばチャンスの場面でたまたまピンチヒッターに起用された打者が力一杯バットを振ったらホームランになってしまったようなものでした。まぐれ当たりでした。しかし、当時の日本の政界、官界、経済界の指導者は「これが日本の実力だ」と勘違いしたのです。その勘違いは政官財指導者の間でいまだに続いています。小泉首相やそのブレーンたちは「日本はホームランバーターだ」といまだに思い込んでいるのです。しかし、日本にはそんな実力はない。日本は自らの力を正確に認識し、力に見合った生き方をすべきです。もっと謙虚に生きるべきだ――これが私の主張です。
【問】日本は地方分権を推し進めるべきだという声が以前からありますが、地方においてそのような動きはありますか?
【森田】中央が唱えている地方分権は「偽りの地方分権」です。中央は「地方分権」の名のもとで実際には中央集権を強化しているのです。マスメディアの多くは中央の言う「地方分権」を支持していますが、地方は、強制的な市町村合併によりむしろ「中央集権」は強まる一方だと感じています。地方の力が弱まり、中央の力が強まっているのです。この地方の声が中央政界に届かず、中央で少数派であることが辛いところです。
地方は、中央が「補助金削減・交付税見直し・税源移譲の三位一体改革」を言いながら、税源移譲をする気がないことに気づき始めました。中央に地方分権を進める気がないことを知ったのです。「偽りの地方分権」を脱して「真の地方分権」を達成する第一歩は、「中央の意向に左右されず、自分たちで自らの生き方を考えることだ」と地方の人たちは考え始めています。
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