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野口旭の「ケイザイを斬る!」
第3回 責任から逃走し続ける組織の病理
http://www.hotwired.co.jp/altbiz/noguchi/030513/textonly.html
組織の基本原理としての責任最小化
われわれの世代以上の「社会科学者」が入門時代に必読文献として読まされ続けてきた書物の一つに、故・丸山真男の『現代政治の思想と行動』がある。そこでの丸山の根元的な問いとは、「何が日本をあの無謀な戦争に駆り立てたか」であった。そして、それを解き明かすために丸山が創出したのが、「無責任の体系」という概念である。
この概念の意味が最も露わになるのは、旧日本軍の「統帥権」をめぐる問題である。よく知られているように、日本の軍隊(とりわけ陸軍)が無統制な侵略行為を繰り返す制御不能な組織へと徐々に変貌していった背景には、陸海軍を統帥する権利は内閣や議会にではなく天皇にあるとする旧憲法(大日本帝国憲法)の条文があった。ところが、日本の治世の伝統的文脈における「天皇」とは、現実的には主体なき「空虚」のような存在なのである。したがって、天皇のみが陸海軍を統帥する権利を持つという規定は、事実上は陸海軍に自らの意志で勝手気ままに行動する自由を付与していることを意味する。
実際、日本の旧陸軍は、中国大陸などで統制なき暴走を繰り返した。それは結果として、日本の国際的地位を貶め、国家および国民に重大な損失および不利益をもたらした。にもかかわらず、日本の旧陸軍は、それに対する責任を真の意味で問われることはなかった。そして、愚鈍な恐竜のように肥大化し続けたのである。
丸山は、こうした病理の源を、日本社会あるいは個人の意識における前近代性に由来する「責任倫理の欠如」に求めている。筆者は、丸山が問題への答えをそのような文脈に押し込めたことは、丸山の的確無比な問題提起を自ら矮小化してしまったと考えている。しかしそれは、丸山の限界というよりは、「日本社会の前近代性」という講座派的なドグマと分かちがたく結びついていた、日本の社会科学の限界だったというべきであろう。
筆者は、日本の旧陸軍がこのように振る舞ったのは、当時の日本人に近代的な責任倫理が欠けていたためだとは少しも考えない。おそらく、どのような組織であれ、その成員が組織を通じて自らの利益を拡大しようとする限り、基本的にはこの旧日本陸軍と同じように行動するであろう。
それは要するに、自らに課せられる責任を最小化すると同時に、自らの権益を最大化するということである。責任とは、組織にとっては外在的な制約にすぎないから、それは少なければ少ないほど望ましい。それに対して、組織の権益は、多ければ多いほど望ましい。というのは、組織の権益がより多くなれば、その成員の「分け前」が増える可能性もより高まるからである。旧日本陸軍は、まさしくそのように、組織にとって最も合理的な行動をとったにすぎない。
いうまでもないが、組織の側におけるこうした「合理的」な行動は、その組織の成員にとっては望ましいことではあっても、その組織の外側の社会全体には膨大な損失をもたらす。だからこそ近代社会は、特定の組織がこのような意味での合理性を自由に追求することがないように、さまざまな装置を制度化してきたのである。民主的法治社会の根幹たる三権分立、あるいは軍隊の文民統制のような原則は、その最も代表的なものである。
要するに、われわれの社会が十分に健全であるためには、どのような組織に対してであれ、「自らが自らを治める」という無責任を許容してはならないのである。外在的な制約なき組織とは、腐敗を運命付けられた組織のことに他ならない。そしてそれは、組織に関する普遍的属性であって、決して責任倫理云々といった問題ではないのである。
組織の目的と規律
ところで、どのような組織であれ、組織には、達成することを期待されているような役割、すなわち「組織の目的」が存在する。例えば、軍隊の目的は、自国の国民を軍事的脅威から守ることである。
企業の目的は、人々が必要とする財やサービスを供給することを通じて収益を獲得することである。行政府の目的は、民間企業によっては必ずしも適切に供給されない公共財や公的サービスを供給することである。
端的にいえば、組織の「責任」とは、このような組織固有の目的を適切に達成することである。もちろん、この組織本来の目的から逸脱した行動をとらないことも、その重要な責任の一つである。
ところが、ある組織がこの責任を十分に果たしているか否かを判断するのは、それほど簡単なわけではない。明らかなのは、この判断は決して当の組織自体に委ねてはならないということである。それは、まさにかつての日本の旧陸軍に対してのように、あらゆる無責任を放任することになりかねない。旧陸軍は、その本分を著しく逸脱して、国家の政治的および軍事的意志決定を思うがままに左右しただけでなく、日本国民を守るどころか、それを途方もない危険に晒したのである。まさに無責任の極みというべきであった。
それでは、組織が正しく機能するためには何が必要なのかといえば、それは「規律」である。この規律とは、まずは、組織がその責務を適切に果たしているか否かを、外在的な視点から判断することである。そして、もしその責務の遂行の程度が不適切と判断される場合には、その原因となっている主体を組織から排除するか、または、それに何らかの懲罰を与えて、今後における行動の改善を促すことである。
われわれの周囲を見回して見ると、正しく機能している組織には、おおむねこの意味での規律が作用しているのに対して、問題を抱えている組織は、ほぼ常にこの規律を欠いていることが分かる。
日本でも、経営がうまくいっていない企業は、無能な経営者がなかなか排除されないなど、何らかの意味で「企業統治」に問題がある場合が多い。とはいえ、たとえ経営者がいかに無能であっても、営利を目的にした組織である資本主義企業の場合には、競争的市場環境に直面する限り、いずれにせよ上記の意味での「規律」が作用せざるを得ない。というのは、無能な経営者が居座り続けるような企業は、おそらくは収益を十分に獲得することができなくなり、やがてはその企業それ自体が市場から排除されることになるだろうからである。
問題はむしろ、「営利を目的にしない組織」にある。それは例えば、公的企業であり、官僚組織である。公的企業がしばしば規律を欠きがちなのは、赤字を垂れ流し放題であった、かつての国鉄の惨状を想起すれば明らかであろう。また、官僚組織が一般に、その本来の責務の遂行以上に「権限」の獲得に熱心なことは、実例を挙げるまでもないであろう。
これらはもちろん、社会全体の観点からは由々しい事態ではあるが、その組織それ自体にとっては、組織全体にとっての責任を最小化し、権益を最大化しようとする、きわめて合理的な行動にすぎない。したがって、社会は、こうした組織に対しては、組織本来の目的を逸脱することなく適切に果たすように、常に厳しい「規律」を求め続けていかなければならないのである。
低迷の根底にある無責任
経済を論じる小論で長々と場違いな組織論を展開してしまったが、それには理由がある。それは、筆者が、この十数年の日本経済低迷の最大の原因が、ある組織の重大な「無責任」にあると考えているからである。そして、われわれはごく最近、その無責任を是正してその組織に「規律」を与えうる、ほぼ唯一の機会を逸してしまったのある。
本連載の読者なら容易に想像がつくであろうが、その組織とは日銀であり、その規律を与える機会とは、内閣による日銀新総裁の任命のことである。
いろいろなところで述べてきたことであるが、筆者は、日本経済に停滞をもたらしている基本的要因とは、名目金利がゼロ近傍に貼り付く中での一般物価の下落、すなわちデフレの進行であると考えている。
日銀が金融政策の操作目標としている日本の短期市場金利(コールレート)は、1995年春の急激な円高を受けて、95年秋には0.4%前後にまで引き下げられた。日本経済はそれ以来、「ゼロ金利近傍の世界」に留まっている。そうした中で、98年には、卸売物価上昇率やGDPデフレーターだけではなく、消費者物価上昇率もマイナスに転じた。日本経済は、1930年代の世界恐慌期以来の本格的なデフレーションに陥ったのである。
ゼロの政策金利とは、中央銀行が短期市場金利操作という伝統的手法の枠内で金融政策を運営する限り、金融政策の事実上の機能停止を意味する。したがって、その状況でデフレが進めば、デフレ期待は強まり、名目金利から期待インフレ率を差し引いた実質金利は上昇する。実質金利が上昇すれば、民間投資および消費は減少し、デフレはさらに進む。これが、「デフレの罠」である。90年代後半以降の日本経済は、明らかに、この「名目金利の下限とデフレとの板挟み」という、デフレの罠に陥っているのである。
このどん詰まりの状況から離脱するには、ともかくデフレからの脱却が必要である。デフレから脱却さえできれば、名目金利も自然に上がっていくから、金利操作による物価の安定化という通常の金融政策運営が可能になる。つまり、「板挟み」から解放されるのである。
ここで重要なのは、あくまでもデフレからの脱却であり、それがすべてに優先するということである。というのは、デフレが続いているにもかかわらず金利を引き上げてしまえば、実質金利が上昇してデフレがさらに加速することになるのは確実だからである。そして、まさにその大チョンボをやらかし、デフレをとことんまで定着させてしまったのが、日銀による2000年8月の「ゼロ金利解除」であった。
問題の本質はもはや明らかである。日本経済の本格回復には、まずはデフレを止めることが必要である。しかし、その「物価の安定」に責任を持つべき唯一の組織である日銀は、その責任をまったく果たそうとはしていない。それどころか、日銀は、現在のデフレは構造的なものであって金融政策ではいかんともしがたいといった非経済学的な考えを盛んに吹聴することで、そうした責任の所在さえも消し去ろうとしている。すなわち、責任から逃走するための努力を、組織を挙げて日々続けているのである。
無責任を放置し続けるメディア
日銀という組織の本来の目的は、日本銀行法において、疑問を差し挟む余地なく明確に規定されている。その第1条には、「日本銀行は、我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うことを目的とする」とあり、さらに第2条には、「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」とある。より経済学的な文脈に翻訳していえば、インフレ率を適切な範囲で安定化させることを通じて、失業率や成長率といった一国の経済厚生にとって最も基本的な経済指標を潜在的に達成可能な望ましい水準において実現させることが、日銀の第一義的な責務なのである。
ところが日銀は、バブル崩壊から現在にいたるまで、インフレ率の低下を無為に放置し続けてきた。それどころか、逆噴射のようなゼロ金利解除さえ実行した。日銀が、物価の安定という法的な責任をまったく果たしてはいないのは、どのような観点からも明白なのである。
問題なのは、メディアあるいは世間一般では、こうした明白な無責任が放置されてる現状が、まったくといっていいほど看過されているということである――その無責任こそが、まさに日本の長期停滞の本質的部分を成しているにもかかわらず。
むしろ、メディアの多くは、構造的デフレ論やらデフレ中国原因説やらの謬説を垂れ流すことで、デフレは日銀の責任ではないという考えを世間に広め、結果として無責任の放置に加担し続けている。ちなみに、その点で最も目に余るのは、本連載第一回「 人々はなぜデフレを好むのか<http://www.hotwired.co.jp/altbiz/noguchi/021106/index.html>」でも槍玉に挙げた毎日新聞である。
おそらく、メディアの最も重要な役割の一つは、その行動がわれわれの経済生活に重大な影響を与えるような公的な組織が、その社会的責任を十分に果たしているか否かを検証することにある。そして、その責務の達成が不十分であると考えられる場合には、有権者に対して幅広く問題提起を行い、その組織のあり方を社会にとってより望ましい方向に改善するための社会的論議を導き出すことにある。
残念ながら、筆者の見る限り、日銀総裁の交代という日本経済の行方を左右する重大なイベントがあったにもかかわらず、日銀のこれまでの政策運営が適切だったか否かを系統だった形で検証した仕事は、社会的な影響力の大きい大手メディアの中には一つも存在しない。しかし、個人的な努力としてであれば、かろうじて一つ存在する。それは、クレディスイスファーストボストン証券会社経済調査部エコノミストである安達誠司氏の論考「新日銀法下での政策決定と論争地図」(岩田規久男編『まずデフレをとめよ』日本経済新聞社、2003年)である。
失敗を糊塗し続ける組織
この安達論文は、速水日銀総裁時代における日銀首脳(日銀総裁、副総裁および審議委員)の発言を、「日銀の公式文書のみから」克明に追うことで、これまでの日銀の政策決定の妥当性を検証しようとした試みである。そこから浮かび上がるのは、中原伸之審議委員を除く日銀首脳が、状況認識および展望において、ほぼ一貫して誤り続けてきたという明白な事実である。彼らは、その時々の経済状況については、無根拠な楽観的見通しを述べるのが常であった。その反対に、より一層の金融緩和に対しては苦笑を誘うほど警戒的かつ悲観的であり、その「リスク」やら「副作用」やらを針小棒大に語るのには熱心きわまりなかったのである。
そうした彼らの言動の的外れぶりが最も甚だしかったのは、やはりゼロ金利解除前においてである(安達前掲論文の図表2を参照)。日銀はゼロ金利導入当初、その解除の基準を「デフレ懸念が払拭されるまで」と説明していた。しかし、その後のデフレ傾向は、縮小するどころか拡大していたのである。他方で、99年後半から2000年前半においては、景気は緩やかながら拡大局面にあった。日銀は明らかに、ゼロ金利解除を正当化する新たな論拠を必要としていた。それを担ったのが、いわゆる「よいデフレ論」と「ダム論」であった。
よいデフレ論とは、現在のデフレは流通革命や合理化の結果で消費者の利益にかなうとか、経済のグローバル化に伴う大競争の結果で日本経済の高コスト体質の是正につながるといった主張である。典型的には、「構造改革や流通革命等で生産性が上がり、物価が下がっていくという要素を考慮せねばならない」という2000年3月10日の速水総裁発言や、「最近の物価下落は情報通信分野の技術革新などの変革を背景とした『よいデフレ』に分類される」という2000年3月21日の速水総裁発言に代表される。ダム論とは、企業収益の増加の影響は、直ちに現れるのではなく、貯水されたダムのように、家計所得や個人消費の増加へと徐々に波及するという考えである。これは、「我々は企業所得と家計所得の関係を、ダムの水位と下流への放流の関係に喩えて議論する」と述べた、2000年8月4日の山口泰副総裁発言がそれに相当する。やがては家計所得も増えるのだから、金利を引き上げても問題はないというわけである。
こうした議論は、当初から何人かの論者によって指摘されていたように、明白な誤謬を含んでいた。合理化やグローバル化の進展が必ずしもデフレをもたらさないことは、日本以上に技術革新が進展し、貿易依存率が上昇している国(米国やアジア諸国など)のいずれもが、日本のようなデフレには陥っていないことから明らかである。金融政策さえ正しく遂行されていれば、合理化やグローバル化がいくら進展しても、デフレになることはない。デフレは、たとえそれが技術革新などの正の供給ショックの結果であったとしても、害悪以外の何者でもないのである。また、ダム論についていえば、企業収益の拡大が、もっぱらリストラや名目賃金の引き下げを通じて実現されているような状況では、景気が十分に拡大した後でない限り、家計所得や個人消費への波及は生じないのである。
実際、日本経済のその後の推移は、これらの考えの夢想性を完膚なきまでに示した。日本に生じているデフレは、決して「よいデフレ論」といえるような代物ではなかった。また、「ダム論」なるものは、ゼロ金利解除のために捻出された希望的観測すぎなかった。そのどちらも、ゼロ金利解除の実現に固執する日銀首脳の脳内にだけ存在するような、虚構の論理というべきものだったのである。
日銀首脳は他方で、国債買い切りオペ増額のような金融緩和措置が生むであろう弊害を、事あるごとにあげつらってきた。曰く、「国債買い切りを無条件に増やしていくと、財政節度を失わせ、国債の格付け低下にもつながる」、「国債買い切りオペ増額は、景気が回復しないうちにインフレ圧力を高めるリスクがある」、「日銀が財政資金の融通を始めると、通貨の増発に歯止めがなくなり、悪性インフレを招く」、「財政のマネタイゼーションを加速するので、長期金利が上昇する」等々である(安達前掲論文の図表1を参照)。
日銀首脳によってこうした懸念が語られ始めてから、既に4年近くが経過している。果たして現在までに、これらのうちの一つでも、多少なりともその現実化が危惧されるような兆候があっただろうか。一つもないのである。これまでに生じてきたのは、悪性インフレどころか、手に負えないデフレのさらなる進展であった。長期金利の上昇どころか、そのますますの下落であった。国債の格付けは確かに下がったが、それは財政のマネタイゼーションを懸念してではなく、デフレの永続化による財政赤字の継続を懸念してであった。要するに、現実に生じたのは、日銀首脳が危惧してきたことのまったくの逆だったのである。
ブルームバーグの2003年3月7日の記事「ゼロ金利解除間違っていない−総裁最後のこだわり」によれば、速水前日銀総裁は、同日に行われた最後の総裁定例会見で、「ゼロ金利の解除は、現在でも、当時の経済情勢をみても妥当だと考えているし、その後に取った措置も間違っていなかった」と強弁したという。「見方が間違っていたという言う人もいるが、そういう新しい製品の在庫状況がつかめなかったのは世界中のことだ」とも語ったようである。間違っていたのは自分たちだけではないというわけである。さらに、事務方が差し出したメモを受けて、「あのときに見通しを間違ったとは思っていない。金融政策はむしろ、そういうふうに変わっていく世界市場の変化にスピーディに反応して、手を打っていくことが正しいのであって、(情勢を)見誤ったと言ったわけではない。ゼロ金利の解除は現在でも、当時の経済情勢をみても妥当だと考えているし、その後に取った措置も間違っていなかった」と断言したという。世界中が間違っていたという上の弁明とはまったく矛盾するのであるが、日銀の公式見解は、あくまでも「ゼロ金利解除は正しかった」というもののようである。
責任を問われないことの帰結
筆者が本稿で強調したい論点は、むしろその先にある。組織であれ個人であれ、われわれは全知全能ではあり得ないから、すべての誤りを避けることはできない。重要なのは、誤りを誤りと認識し、組織の行動を絶えずより誤りの少ない方向に改善していくような努力である。あるいは、それを強いるような制度的メカニズムである。それが「規律」である。
その観点からは、深刻なのは、誤りそれ自体よりも、誤りを是正させるような規律が存在しないことである。規律が存在しなければ、誤りを生み出す要因が排除されることもないから、同じ誤りが永遠に繰り返されることになる。日銀に関して真に危惧すべきは、まさにそれである。
実際、これだけ明白な失敗を積み重ねているにもかかわらず、日銀は結局、その責任を問われることはまったくなかった。
ある報道によれば、日銀が政府の反対を押し切ってゼロ金利解除を強行したとき、日銀側は、「責任はすべてこちらが負うから、とにかくここはゼロ金利を解除させて欲しい」と懇願して、政府を納得させたという。確かに、その約半年後に日銀が再びゼロ金利に復帰せざるを得なくなったときには、速水総裁がゼロ金利解除の判断ミスの責任を取って辞任するのではないかという観測が、マスコミで盛んに流された。しかし、速水氏は結局、「景気よりも構造改革」を唱える小泉政権が誕生したのをいいことに、日銀総裁の座に居座り続けた。そして、小泉政権誕生当時の「構造改革フィーバー」に便乗し、自らの政策ミスは棚に上げて、「デフレからの脱却には構造改革が必要だ」などと、かつての「よいデフレ論」とはまったく逆の主張を吹聴し始めたのである(安達前掲論文の図表4を参照)。
おそらく、こうした無責任を改めさせることのできる唯一の機会があったとすれば、それが今回の日銀新総裁の任命であったろう。本連載第二回「 『構造』なる思考の罠<http://www.hotwired.co.jp/altbiz/noguchi/030204/index.html>」で取り上げたように、日銀新総裁の有力な候補者には、これまでの日銀審議委員の中で唯一正しい見通しを示し続けてきた中原伸之氏と、日銀という組織にとっての最も正統な後継者と目されてきた、元日銀副総裁・福井俊彦氏の二人がいた。そして結局、小泉首相によって指名されたのは、福井氏の方であった。
このことの持つ意味は重大である。というのは、それは小泉内閣が、これまでの日銀の政策運営のあり方に承認を与えたのとほぼ同義だからである。つまり、少なくとも現政権は、日銀に対して、「今まで通りやっていればいい」というお墨付きを与えたのである。
本連載第二回で確認したように、福井氏は本来、「いまのデフレは単なる貨幣的な現象ではない」とか、「金融政策だけでデフレが解消できると考えるのは間違いだ」と公言し続けてきた構造デフレ論者である。そのことは、総裁就任前の3月18日に行われた衆院財務金融委員会での参考人としての答弁の中でも、再三強調されている。少なくとも、福井氏のこうした言動から判断する限り、その思考様式は速水前総裁とほぼ同様であると考えられる。つまり、物価の安定に対する日銀の責任を真摯に引き受けるとはとても期待できないのである。
小泉政権は今後、こうした決定の結果責任を問われることになるかもしれない。しかし、その当の日銀自体に新たな規律を求める機会は、さらにあと5年を待たねばならないのである。
(了)