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「失われた13年」の源流を探る
89年参院選の「自民惨敗」からすべてが始まった。
2003/5/11
依然、日本経済に回復の兆しは見えない。
本頁で再三繰り返している通り、単に政策面で言えば
日本経済を当面の回復基調に乗せること自体は極めて容易である。
目先について言えば「不良債権処理」の強行が最大の元凶であり、
これさえ完全に棚上げすることができれば
一旦は一定の回復基調に戻ることはできるだろう。
もちろん、この期に及んで未だ「不良債権処理」を叫ぶ
「エセ構造改革論者」が跋扈するマスコミを向こうに回して
たったこれだけの方向転換することすら、極めて困難であることは解っている。
しかし、さらに問題なのは、仮にここで方向転換が実現できたとしても、
どうせ、またマスコミは別の切り口で、
日本経済にとって致命的な主張を振りかざして暴れ続け、
日本はそれに振り回され続けるだろうということだ。
1989年末に38,915円を付けた平均株価は
今や約5分の1の8,000円前後まで下落している。
この間を指して「失われた×年」という言い方が
2000年ころから言われるようになり、
そしてその「年数」はまだ打ち止めになりそうもない。
それまでの日本とそれ以降の日本では何が変わったのだろう。
どうして日本はここまで国富を失わなければならなかったのだろう。
これは単なるバブルの生成と崩壊や、中国の台頭等の
外部要因などからだけで説明できるものだとは思わない。
1989年を境に日本という国の
意思決定プロセスが致命的に変わったのだ。
そして、その時点で今日の状況は運命づけられたのだ。
その致命的な変化とはマスコミが政府に対し
決定的に優位に立ってしまったということである。
その象徴が消費税導入後の89年7月の参議院選挙における自民党の惨敗だ。
それまでは安保の例を見るまでもなく、
マスコミはノイジーマイノリティの代表でしかなかった。
もちろん、全く無視できるほど弱くもなかったが、
本当に必要なときはマスコミが騒ごうが必要な政策が取り得たし、
それでも、いや、それだからこそ多くの国民は
選挙になれば自民党に投票してきた。
一方でその裏返しとして、それまでの自民党の政治家は、
良い政策を行えば必ず国民のマジョリティーは評価してくれるという
国民に対する信頼感を持っていたように思う。
だからこそ、マスコミがあれだけネガティブキャンペーンを繰り返してもなお、
彼らは消費税の導入に一丸となって取り組み得たのだろう。
しかし、日本の国民はそれに応えなかった。
こともあろうかマスコミの浅薄なデマゴギーに洗脳され、
消費税反対を叫ぶ以外何ら能の無い醜悪なオバサン達に
大挙して投票し、自民党を惨敗させてしまった。
それ以降、自民党を含め大半の政治家が
「マスコミに迎合すること」が選挙で生き残る
最も確実な道だと確信するに至ってしまった。
日本の衰退への転換はこの変化と軌を一にする。
「失われた13年」の源流はまさにここにある。
その後、一時の表面的な政権交代はあったものの、
一貫して「マスコミ対策再優先政権」が続いており、
その中でマスコミにおもねった愚行ばかりが繰り返されてきた。
いちいち挙げればキリがないが、
振り返ってその中でも特に致命的だったものとして、
マスコミにおだてられ強硬に金融緩和を拒否した三重野の首を切れなかったこと、
財政・金融というマクロ経済運営の両輪において重要な役割を果たしてきた大蔵省を
強化すべき所をなんと解体してしまったことなどが挙げられる。
そういう「マスコミ対策再優先」のツケが今日の状況を招いているのだ。
しかし、そもそもマスコミの主張はなぜいつも有害なのだろうか?
それは今50台くらいの若年期に左翼カルトに傾倒した連中が
マスコミの中枢を占める時代になってきたことが大きいと考えている。
さすがに社会主義、共産主義がデタラメであったこと自体は
頭では理解はしているのだろうが、「三つ子の魂百まで」というように、
その時代に信じ込んだ国家観、社会観を未だ引き摺っている者が目立つ。
そして、そういう連中によるデタラメの垂れ流しの蓄積が
臨界点を超えてしまったのが1989年であったのだ。
そう考えると、あの世代の連中が社会の表舞台から消えるまで
あとまだ10年以上「失われ」続けることも十分ありうると考えざるを得ない。
気の遠くなる話だ。
ただ、一つの希望はネットの台頭だ。
ネット世代は主に20〜30台くらいだろうが、
玉石混交とはいえマスコミが誘導する世論とは全く違う議論が
多くの掲示板等で交わされている。
決して楽観はできないが、もしかするとあと10年もしないうちに
なんらかの流れの変化が起きてもおかしくない。
目指すのはどんなにマスコミが煽っても
それが選挙の「票」としてたいして出てこない時代だ。
そういう時代になれば再び目先のマスコミ対策よりも
日本の将来を第一義に考える政治家が現れるかもしれない。
そういう夢を持って「明日への道標」を綴り続けて行きたいと思う。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhh1899/page169.htm