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2003年4月24日 木曜日
「第1次世界大戦後、レーテ共和国時代のバイエルンにシルビオ・ゲゼルという人物がいて、ゲゼルは『お金は老化しなければならない』というテーゼを述べています。ゲゼルは、お金で買った物は、ジャガイモにせよ靴にせよ消費されます。ジャガイモは食べられ靴は履きつぶされます。しかし、その購入に使ったお金はなくなりません。そこでは、モノとしてのお金と消費物資との間で不当競争が行われている、とゲゼルはいいます。
お金自体はモノですね。売買されるのですから。しかし、お金は減ったり滅することがないものなのです。一方、本来の意味でのモノは経済プロセスのなかで消費され、なくなりなす。そこで、ゲゼルは、お金も経済プロセスの終わりにはなくなるべきであると言います。ちょうど血液が骨髄でつくられ、循環して、その役目を果たしたあとに老化して排泄されるように。お金とは経済という、いわば有機的組織を循環する血液のようなものです。
このゲゼルの理論を実践し、成功した例があります。1929年の世界大恐慌後のオーストリアのヴェルグルという町での話です。町は負債を抱え、失業者も多い状態でした。そこでヴェルグルの町長だったウンターグッゲンベルガーは現行の貨幣のほかに、老化するお金のシステムを導入したのです。このシステムは簡単に言えば、1ヶ月ごとに1%ずつ価値が減少するというものでした。町民は毎月1%分のスタンプを買って老化するお金に貼らなくてはならないという仕組みでした。
このお金はもっていても増えないばかりか、減るので、皆がそれをすぐに使いました。つまり貯めることなく経済の輪のなかに戻したのです。お金は持ち主を変えれば変えるほど、購買力は大きくなるのです。1日に2度、持ち主を変えるマルクは、1日に1度しか持ち主を変えないマルクより購買力が大きいのです。2年後には失業者の姿が消えたといいます。お金を借りても利子を払う必要がないので、皆がお金を借りて仕事を始めたのです。町の負債もなくなりましたが、オーストリア国家が介入し、このお金は禁止されました。
(中略)「エンデの遺言」からもう少し引用しよう。労働証明書は非常な勢いで街をめぐりはじめます。それはこうした原理でした。貨幣にかかる持ち越し費用、つまりスタンプ代は一種の税ですが、これはお金を使ってしまえば回避できるものです。そこでこの紙券を受領した人間はできるだけ早く、そしてオーストリア・シリングよりも先に使おうとします。
紙券は猛烈なスピードで循環しはじめ、循環するほどに、取引を成り立たせていきました。町には税金が支払われるようになりました。あまり早く税金の支払いという形で町に労働証明が環流してくるので、町の会計課の役人が、これは誰かが偽札を刷っているに違いない、と叫んだほどです。
(中略) 貨幣の流通する速度は12くらいだったといいます。10シリングの労働証明が月に12回流通したわけですから、120シリングの取引を発生させたことになります。町はこの労働証明の発行後、4ヶ月で10万シリング分の公共事業を実施でき、もちろん滞納された税は解消され、なかには税を前納したいと言い出す市民も現れたそうです。町の税収は労働証明書発行前の8倍にも増え、失業はみるみる解消していきました。焦点は繁盛し、ヴェルグルだけが、大不況のなか繁栄する事態となりました。
ヴェルグルでは1月に12回流通した、ということは1年で144となる。日本では2000年のM1の流通速度は2.22。ヴェルグルでいかに労働証明書の流通速度が速かったか、今日これほど流通読度の早い国はないし、どのような状況になるのか予想し難い。第1次大戦後のドイツ経済のようだったかもしれない。つまりヴェルグルの状況は同じ頃のドイツと同じ様だったのだろう。伝え聞く所によると、「朝給料をもらったらその日の内に使ってしまわないと、翌日になるとインフレで貨幣価値が半分になってしまう」状況だったと言われる。
毎月1%のスタンプを貼るのだから、1年で12%の貨幣価値の低下となる。つまり12%のインフレ。しかしこれは労働証明のことでオーストリア・シリングは違う。物価がどのように上昇したのか?については記録がない。13ヶ月ではインフレは起きてないかもしれない。上記の恒等式で「P=物価水準」に変化がないとすると、「Y=実質国民所得」が大きいことが予想できる。しかしこれは短期だからで、もっと続けていればインフレになっていたであろう。
銀行などに預金することができなかったこともポイントの1つだ。「預金できないから使ってしまおう」となった。もし預金できれば流通速度が鈍っていたはずだから、これも大きなポイントの1つになる。もっとも預金できなかったから→銀行に預金が集まることがなかったから→民間からの投資が行われなかったから→長期的な経済成長は望めなかった、と言える。(後略)
インフレ目標の成功例が地域通貨にあった TANAKA1942bより:http://tanaka1942b.tripod.co.jp/L-11.html#1
昨日のNHKで「その時歴史が動いた」で、徳川幕府の老中の田沼意次の改革について放送していた。徳川幕府は重農主義が基本であり、田沼のような重商主義は異端視された。この伝統は現在でも生きており、小中の学校の歴史教科書では田沼意次は賄賂政治の悪者として評価されている。「賄賂」というと犯罪だが「リベート」という商行為とみれば犯罪ではない。
田沼意次のことを調べていくうちに「趣味の経済学」のHPが見つかり、その中で「インフレ目標の成功例が地域通貨にあった」というページに、オーストリアの町の例が書かれていた。そのなかでお金と物との関係でシルビオ・ゲゼルが指摘していることは、通貨とは何かということで本質を突いている。
お金で買った物は、食品のように食べてなくなったり、靴や洋服のように傷んで使えなくなってゆく。その反面、お金はそのままの価値で通用するのはアンバランスだ。お金も時間と共に価値を減じてゆかなければならない。実際にインフレ経済下ではそのような通貨の目減りが行われている。ところがデフレ経済下では物は目減りしていくか安くなってゆくのに、お金は価値を大きくしてゆくから異常な現象なのだ。
ならば日本においてもゼロ金利が長いこと続いているが、マイナス金利にしたら良いのではないかと思う。今10000円札が来年には9900円になる事にすれば、1%のマイナス金利ということになる。ならば人々は銀行から預金を引き揚げて現金のまま持とうとするだろう。しかし現金で持っていても1年たったら100円のスタンプを貼らないと使えなくしてしまえば良い。
ヴェルグルの町の地域通貨はマイナス金利を導入することにより、地域経済が活性化したことの実例を示している。お金は誰かが貯め込んで使わなくなると、通貨の回転率が悪くなり経済規模がどんどん縮小してしまう。現在は日本政府が公共事業などで経済規模を支えているが、いつまでも続けてはいられない。民間に偏在したお金を回るようにしなければならない。その為には時間が経つと目減りするマイナス金利にする必要がある。
お金がぐるぐる回るようになればそれだけ税収も増えることになり、財政赤字も解消されるだろう。ところが財務省の官僚たちは減税で景気を支え、増税で歳入を図ろうとしている。これでは通貨は回転せず、ますます人々は預金を貯め込んでデフレが酷くなる。さらにマイナス金利となると借金も元金が減ってゆくことになる。長期に借りれば何も返さずに借金はなくなることになる。となると借り入れ希望者が増えて経済は活性化する。
財務省は税収を増やすために増税ばかり考える。それよりもお金の回転率を上げて税収を図るべきだ。その為にはインフレにするか、マイナス金利にして、お金は使わないと損をするようにするべきだろう。日銀は盛んに資金を供給しているが、お金が回らなければ意味はない。今のところ日銀と銀行とがお金のキャッチボールをしているだけだ。その一方で1400兆円の資金が眠っている。この資金を動かすことにより景気の刺激を図るべきだろう。
趣味の経済学のホームページ TANAKA:http://tanaka1942b.tripod.co.jp/