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「窓」―日本外交の過誤 [朝日]
吉田茂首相の指示で1951年に作られた外務省の秘密文書が、最近、公表された。「日本外交の過誤(かご)」というタイトルが興味をそそる。作成の経緯(けいい)がおもしろい。元国連大使の斎藤鎮男(さいとう・しずお)氏の著書「外交」によると、この年の初め、当時、政務局政務課長だった斎藤氏が突然吉田首相に呼び出された。
首相は「日本外交は満州事変、支那(しな)事変、第二次世界大戦と失敗を重ねた。原因を調べて後世の参考に役立てたい」と、若手課長を中心に報告書を作成するよう指示した。彼らは多くの先輩(せんぱい)外交官から聞き取り調査をした。出来上がった報告書は大胆(だいたん)な批判にあふれている。
内容を少し紹介(しょうかい)すると、日独伊三国同盟については「都合の悪いことに目をつぶった、現実に立脚(りっきゃく)しない砂上の楼閣(ろうかく)」と言い切っている。日本軍の仏印(ふついん)(現在のベトナムなど)進出は「かえって自分ののど元を締(し)め付け、揚(あ)げ句の果ては元も子も失う戦争に追い込まれた」。そして、戦前の対外政策全体を「対華(たいか)政策の根本が改められない限り、本省や現地の事務当局がどんなに努力しても外交的には無に等しい。枝葉末節の苦心は、単なる自慰(じい)に等しい」と分析した。
安易な前例踏襲(とうしゅう)の誘惑(ゆうわく)をはねつけ、不断に外交政策を検証する知力やエネルギーが今の外務省にあるだろうか。長い間眠(ねむ)っていた報告書は、幸い、他ならぬ外務省内の若手の間で話題になっているという。〈薬師寺克行(やくしじ・かつゆき)〉