現在地 HOME > 掲示板 > 議論9 > 952.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 自分を疑うことをしない自称正義の味方さん達へ、以下の悲劇をどう思う? 投稿者 Ddog 日時 2003 年 4 月 13 日 03:27:27)
とても痛ましい事件で、具体的にこのようなことが行われていたとはじめて知りました。ご冥福をお祈りいたします。言葉になりません。
ところで、村社会化しているとのご指摘もありましたが、村社会で決定的なのは、「欠席裁判」なのではないでしょうか。
>中間報告によると、校長は昨年5月、運動会の開会式次第でパン
>フレットに「国旗掲揚・国歌斉唱」と記すよう求めたが、一部の教
>職員が勝手に外して児童に配布した。
ここで、教員達の間で欠席裁判が行われ、判決が下されていたであろうことは容易に想像がつきます。そのような体質を見て、校長先生はがっかりなさったのだと考えています。日本人として、常に心していないとこのような悲劇が容易に起こるのだということは忘れてならないと思います。
しかし阿修羅は、(まだ)欠席裁判が行われることが無いように思います。読んでいる人間の多くは、村社会的発想に、当事者としてその顔を作る必要がありません。欠席裁判に参加する必要もありません。むしろ内心顔をしかめているというのが、そのままこの掲示板に対する対応として自然なものであると思います。それゆえ、お怒りもお察しいたしますが、村社会化に対する警戒を少しでもお緩みになられ、また勉強させていただきたいとの思いでおります。
また、元記事に関してですが、正直現在の状況に対する行動原理を設定する気になれずにいます。(イラク信仰側に立っているという)当事者意識が不足していることもありますが、現在のアメリカ追従を(他の選択肢が無いという消極的な理由で)認めつつ、積極的にヘーワを叫ぶことの根拠を構築する試みに対して悲観的な観測を持っています。
やはりご指摘のように、「武士道」等の心の規範の構築が求められていると感じています。(個人としての自分は、むしろ平安文学好きなのですけれども)
勝手な引用になりますが、INUさんの、
http://www.asyura.com/0304/idletalk1/msg/405.html
>ならば今後何を範とし何を糧として生きるのか
>は自分たちで考えなければいけない重要な問題であり、
>その為には途方も無い努力と時間が間違いなく必要だ。
>その現実認識と覚悟こそが必要ではないだろうか。
に深く共感します。ここで合意がないと、武士道という思想の構築が個人的な問題に限られてしまいます。宮本武蔵の流行にも見られるように、武士道といった昔の日本人の行動規範に注目が集まるのは自然なことだと思います。私は勉強中の身ですので、議論に参加することが難しいです。勉強させていただきます。
また最後に、阿修羅的には、ヘーワ運動が、大衆に無力感を植え付ける悪魔崇拝者の手によるものであっても、もしくは北朝鮮問題をこじらせてアメリカに財産を献上するものであっても、「平和運動」自体には敬意を保ちつつ、それは受け入れるわけにはいかないと考えます。また、こういった、愚にもつかないかもしれない疑惑にも、多かれ少なかれまじめに考えてみたいと思っています。