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(回答先: 自律者の徳目(仁義礼智信)と従属者の徳目(忠孝悌) 投稿者 たけ(tk) 日時 2003 年 4 月 10 日 02:20:01)
たけ(tk)さんどうも高い教養と知識を感じさせられるレス有難うございます。なるほどと感心する分析ですね。納得してしまいました。とすれば、滝沢馬琴の価値観でいくと、小泉は少なくとも従者の徳目、忠考悌は尽くしているのですね。小泉の器では、忠考悌を尽くすのが精一杯であろうから、今回の対応は、自立した国家としての軍事力を持たないがゆえに、必然的従者の選択としては、実に的確であったということでもあるわけですね。
ちなみに有名な孔子の道徳律は、「忠考悌仁義礼智信、明浄正直勤務追進」ではなかったかな?
孔子は天と人自然と人を対立させて発想している。天も自然も正しい、人だけが間違える。天や自然が教える人間の正しい道はこうだと説いている。里見八犬伝で説かれている道徳律は、従者の発想を基に付け加えられたとはどこの出典ですか?私の本棚にある書籍を探しても分かりませんでした。当時の道徳律の解釈として本居宣長解釈の道徳律では、人間の心の中に自然が入り込むと解釈して日本における忠義を説いていた。中国における忠は「碌をもらってから忠を尽す」日本における忠は「俸禄をもらおうがもらわなくても関係無く誠意を表現することである」
武士道の中心的徳目の一つが忠義であった、忠と義ですね。江戸時代の忠義を代表するのが赤穂浪士事件ではあるが、実際の武士道における忠義とは、そんなに単純な我が身を犠牲にして主君の意志を忠実に実行すると言ったものではなかった。
もう一つ日本的徳目を説いた「葉隠れ」、「武士道は死ぬ事とみつけたり」ですが、忠義の名のもとに武士に奴隷のような服従を要求するものではない。葉隠れは主君の命令に恭順を説いた後、自己の信念に照らして納得のいかない命令であったなら、主君に向かってどこまでも「諫言」を呈して再考を求めるものである。江戸時代多くの藩で、理不尽な主君の命令や行動に対して、「押し込め」が発動された。
長ったらしいが、日本においての忠の解釈はたけ(tk)さんの解釈とちょいと違うような気がします。
よらば大樹の影的な発想で、私は日本のとるべき正しい政治をとらえていないので宜しくご理解下さい。
ブッシュの無法についてブレアは、「押し込め」まで発動できなかったが、ある意味では日本的武士道的な対応をとったと評価している。小泉ごとき器では到底無理なことで、武士道に程遠い振る舞いであったと思う。ブレアに関して別にレスを書きたい。