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米国のイラクへの攻撃は、スペインによるインカ帝国への侵略を彷彿させる!
アメリカは略奪を戦争と言い換えている。
誰も、スペインはアステカ王国 やインカ帝国と戦争したとはいわない。
圧倒的な軍備の差が有る場合は、戦争ではない。
大人と子供の場合「けんか」したとは言わない。
痛めつけた。暴虐とか云うのである。
「一人が転ぶと、大勢がそれに続いてバタバタとつまづき、そのうえを馬のひずめが容赦なく走り回った。壁によじ登って逃げようとするものは、小銃で撃ち殺された。3つの出口から逃げだそうとする者は、待ち受けていた歩兵の刃にかかってたおれた。騒ぎを聞きつけて、チョルーラの兵士がその場に駆けつけ、広場の外からスペイン軍に攻撃をしかけてきたが、コルテスは、そのことあるを予期して用意してあった大砲を、一斉に発砲させ、その弾丸ごめの合間には、騎兵に突撃させて、瞬く間に3,000人の敵兵の命を奪ってしまった。(増田義郎著「古代アステカ王国」中公新書」
今のメキシコシティーに首都を置いていたアステカ王国は、それまでのヨーロッパ、アジア型の文明とは異なる文明のもとで過ごしていた。この王国は立派な組織と文明を持っていて、もちろん王様はいたし、高度に発達した宗教もあった。軍隊、国家、神殿などの基本的構造は他の文明とは変わらない。 アステカ王国の首都はテスココ湖の湖の中央にあり、その名は「テノチティトラン」と呼ばれていた。湖に浮かぶ美しい都で、アステカの王、モンテスマの宮殿、神殿、そして多くのピラミッドが立ち並んでいた。金も豊富で、多くの建造物が金で豪華に装飾されていた。
アステカの社会や生活の中でも特別にスペイン人が驚いたものがある。それは毎日、毎日、太陽の神に人間の生け贄を捧げることである。それもピラミッドの頂上に生け贄となる人を縛り付けて、生きたまま心臓をえぐり出すというものであった。都市の景観と良い、モンテスマ王の人柄と良い、比較的穏やかな国家なのにも拘わらず、宗教面では相当過激な行事を行っていたのである。
アステカ王国に侵入したコルテスの目的は、アステカの富を奪い取ることである。如何に穏やかなアステカの国民の黙ってはいない。問題はどのようにしてアステカ王国の人々を、「騙すか」と言うことにあった。そして少しずつ騙し、最後は一気に押しつぶした。結局アステカ王国は滅亡し、10,000人を越える人々が殺された。
インカ帝国滅亡
200人のコルテスのスペイン軍はインカ帝国の王、アタファルパを捕らえ、王を捕らえれて意気消沈するインカ軍を虐殺。次には、捕らえた王の身代金として莫大な黄金をインカ帝国の隅々から集めると、身代金の黄金の一部をスペイン国王に届け、ほとんどを自分のものにした後、アタファルパ王を処刑した。
インカ帝国はこのピサロの暴虐の前に、アステカ王国と共に滅亡したのである。
インカ帝国に傀儡皇帝を樹立したハプスブルク家は鉱山からの銀により潤っていった。
今でもこの残虐な征服はその力によって「正義」とされている。
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