現在地 HOME > 掲示板 > 議論9 > 733.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 米国優勢が確定した段階で。 投稿者 baka 日時 2003 年 4 月 06 日 14:19:53)
bakaさん、こんばんわ。
米英侵略軍がフセイン政権を倒して“占領支配”を開始したとしても、イラク人の抵抗は続きます。(90%以上のイラク人は陰ながらの支援者か傍観者になるとは思っています)
攻撃開始前には、戦争のゆくえとして、フセイン政権の崩壊を通じた米英のイラク占領支配がいったん始まった後に、イスラム武装勢力の反米英の戦いがじりじりと続き、数年後に米英政権はイラクから撤退するというものでした。
その見通しは、攻撃開始後のラムズフェルド国防長官の記者会見で大きく揺らぎました。それは、彼らが、フセイン政権内部のクーデタや南部シーアの蜂起をたのんで、イラク侵略戦争を始めたことがわかったからです。
※ 参照書き込み
『【イラク侵略戦争のゆくえ】 傲慢者らしく“願望”と“信仰”で作戦計画を立てたブッシュ政権 − 戦闘の勝利さえ危うい実情 −』
( http://www.asyura.com/0304/war26/msg/826.html )
これは、イラク人が、米英侵略軍を撃退する大きな可能性を持っていることを意味します。
「仮に米国優勢の見極めがついた」としても、米英の支配を非と考えるイラク人やアラブ人は抵抗を続けるです。
なぜなら、いったん占領支配が始まると、狡猾な米英政権の誘導によりイラク人同士の戦いに移行すると考えているからです。
米英政権は、占領支配権を維持しても、危険すぎるイラクの治安維持を直接担うつもりはありません。
占領後すぐに、イラク国軍や共和国防衛隊そして警察機構を抱き込み、彼らを反占領支配勢力に対峙させる態勢をつくるはずです。
それを補うかたちでの米英軍さらに日本を含む外国部隊を展開させようとします。
近代主義に馴染み敗戦で生活に窮したフセイン政権の軍事警察機構のある割合の構成員は、ドル紙幣に横っ面をひっぱたかれ、米英政権の“猟犬”に転身すると見ています。
南部シーア派のみならずスンニ派も含めたまともなムスリムは、標的である米英支配に攻撃を仕掛ける前に、旧フセイン政権の寝返り武装勢力(新国軍や新治安警察)と戦わざるを得なくなります。
このような内戦状況は、現在のアフガニスタンの姿でもあります。
イラクでも、内戦状況はすでに現実化しています。
北部地域では、クルド人(イラク人)一部勢力を金で雇って、特殊部隊の手足(実戦部隊)としてフセイン政権部隊と戦わせています。
ラムズフェルド氏などが特殊部隊の活用を好むわけは、自国兵士の犠牲をできるだけ出さないで目的が遂行できるからです。
米英は、フセイン政権を倒して占領支配を始めたら、現在北部地域で行っている戦い方をイラク全土に広げようとします。
イラク人同士が殺し合う状況をお金の力でつくり、それをイランやサウジアラビアなどに侵略する好機として利用するはずです。
ムスリム同士を戦わせて高笑いしつつ、新しい侵略戦争の口実のタネを撒いていくというのが、人を人とも思わない傲慢で狡猾な連中のシナリオなのです。
このような現在よりもさらに悲惨な状況にならないためにも、フセイン政権を倒させてはならないのです。
フセイン政権をあとで倒すにしても、フセイン政権がもてる戦力を米英侵略軍にぶつけさせて米英を撃退することにまずは傾注しなければなりません。
>ところで、ガンジーの無抵抗主義によるインド独立は、世界経済支配層にとって、思
>う壷あるいは、どうでもよい事だったのでしょうか?
ガンジー氏も、本人がどう考えていようと世界経済支配層の代理人でしかありません。
ガンジー氏が属していた「インド国民会議」そのものが、英国がインドに近代主義を浸透させるためにつくった組織です。
(英国は、藩王を使った間接支配と直接支配を使い分け、インド人を下級実戦部隊とした警察や軍隊で治安を維持するとともに、イスラムとヒンドゥの対立をうまく操りながらインド支配を維持しました)
英国のインド支配は、国際金融家や個々の資本家にとっては経済権益であっても、英国政府にとっては財政的重荷になっていました。
第一次世界大戦と第二次世界大戦で疲弊を重ねていった英国は、とてもその重荷を担ぎ続けることはできなくなっていました。
英国は、インドに独立を認めるにあたって、政治支配は失ってもいかに経済権益を維持するかに腐心しました。
そして、インドが自立的な力をできるだけ蓄えないよう、インドとパキスタンに分裂するように仕向け、さらには両国の間にカシミール地域という紛争のタネも撒きました。
(独立後に自分の手先を政治的指導者にしたり、スムーズに新体制が運営できないように紛争のタネを撒いておくという手法は、アフリカの旧英国植民地諸国や香港を顧みればわかります)
インドの独立があのようなかたちで成し遂げられたのは、英国がインド支配を継続する力を失い、チャンドラ・ボースのインド国民軍などによって武力的に完全放逐されるよりも、穏当な手続きで独立を認め少しでも多く利権を残したほうが得だと考えたからです。
「非暴力抵抗運動」賛美は、英国が作り上げた神話です。
(「非暴力抵抗運動」がどんなときにも効果がないと主張しているわけでありません)
英国政権(世界支配層)が、非暴力抵抗運動者を虐殺することで利益が得られるのならあれこれ理屈をつけて虐殺も厭わないであろうことは、この500年近い英国の対外政策を顧みればわかることですし、現在のイラク侵略戦争を見てもわかることです。
(英国軍は、イラク南部で、バース党員だサダム挺身隊だとあれこれ理屈をつけながら、民家に押し入り拉致監禁を行ったり、道行く自動車を止めては戦闘能力がありそうな若者を拉致監禁しています。BBCの救いは、そのような状況も映像付きで報道し、容疑は不詳だと解説していることです。グァンタモナ基地と同じように怒りが爆発しそうなおぞましい映像が流されています。女性や子供まで庭に引きずり出され跪かされます。拘束された人は、麻袋ですっぽり頭を覆われ梱包用ビニール紐で手首を縛られて、装甲車両などに押し込められどこかに運ばれています)