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(回答先: 何故、創価学会は自民と手を組んだのですか? 投稿者 学会員A 日時 2003 年 4 月 02 日 13:34:25)
学会員Aさん、こんにちわ。
問いかけに心を動かされるところがあったので、寸暇を盗んでレスさせて頂きます。 公明党の動向が今回は決定的に重要でしたからね。
あっしらさんやたこさんの分析それ自体は見事なものです。
しかし、私は少し内在的な観点から考えてみました(私自身は学会員ではないので、当然、限界はあります)。
「戦争ほど残酷なものはない。 戦争ほど悲惨なものはない。 しかし、その戦争はまだ続いていた。」
小説「人間革命」の冒頭部分ですね(私は2巻で挫折しましたが)。
しかし、この文句は覚えています(少し違ったかな)。
二代会長 戸田聖城氏が刑務所から出所する場面だったと思います。 既に初代会長は獄死していました。
(公明党は、自営業・自由業・生活困窮者を主たる信徒層とする創価学会の政治部門ですから福祉と平和を主張して)きたという理解は正しいですね。
はっきり言うと、戦争の惨禍の中から産声を上げ、生活困窮者の方々の支持と奮闘によって巨大教団にのし上がったわけです。
そして、おそらくは戦前に弾圧を受けた経験から、政治介入を指向するに至りました(日蓮宗関係は政治好きという面もありますが)。
「一世」の方々は、戦争の惨禍と困窮の中で、貧乏と病気との中で宗教活動をされてきたはずです。 だから、公明党、創価学会の反戦平和も、決してポーズだけではなく、当時は非常に重みのある言葉であったはずです。
公明党の最近の変質は、日本社会の変質と同期していると考えています。
創価学会も現在の活動家はほとんど「二世、三世」だろうと推測しています。 率直に言って、二世、三世の方々に、戦争の惨禍が受け継がれているのか、疑問に思っています。 それは創価学会の布教拡大の原点だったはずなのですが。
「仏とは生命である」
確か2巻でしたっけ? 間違っていたら、ごめんなさいね。 戸田城聖氏が獄中で悟りを開く場面だったと思います。
仏が生命であるならば、都市を爆撃してはいけませんよ。
やはり創価学会は自らの立脚点を踏み外しているんじゃないでしょうか? これは日本社会全体に言えることですが。
外部の人間は、(一貫とした主張であった「反戦平和」が、学会員や票集めの手段でしかなかったということの一つの現れ)であると受け取っているはずです。
私は、戦争の惨禍に遇われた方々がいかに苦労されたかを思うとき、やはりその原点に立ち返って欲しいと、公明党および創価学会に希望致します。 特に二世、三世の方々。
(公明党冬柴幹事長の言動は、北朝鮮リンケージ論など自民党としてはちょっと恥ずかしくて言えないことを代わりに言うという惨めなものだと受け止めています。) あっしらさんのおっしゃるとおりです。
戸田城聖氏なら、もっと厳しく怒るんじゃないでしょうか? 失礼なことを申しましてすいません。