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「目的は手段を正当化するか」というと、ドストィエフスキーかカミュの小説のテーマのようだが、ここでは、ダブヤ君のイラク侵攻の動機について分析してみよう。
たとえば、本人自身が公言しているように、「サダム・フセインの圧政のひどさに我慢できなくなって」という主張を真に受けてみよう。小生はフセインなどは、圧政者としても”平均レベル”だと思うが、まあ、つい最近、幻灯社かせ翻訳が出たフセインの伝記などを読むと、この「ミニ・スターリン」も”そこそこのタマ”だとは思う。
しかし、だから、この時期にフセイン政権打倒のために、イラク侵攻をすることは、何ら正当化されない。まあ、「民族自決」の原則などダブヤ君は、恐らく、大統領になる前は知らなかっただろうし、「このままフセイン政権を放置すれば、数年で途方もない脅威になる」なんて言っている点も、湾岸戦争以後、12年もたっているのに、イラクが大した「世界の脅威」になっていないことからも否定される。
しかも、米国の政策遂行の順位という点からみても、経済浮揚とかプライオリティの高い政策はいっぱいあるわけで、ワシントンが「イラク問題」で麻痺しているのは、米国にとっても不幸だ。
小生は前にも述べたように、ダブヤ自身の政権保全と再選戦略がかなり大きな動機と思っている。ボブ・ウッドワードの本を読んでも、ダブヤは歴史に名を残したがっているし(まあ、戦争キチガイとしては名は残るわいね)、得意でないうえに、成功しても大して評価されない経済政策より、イチかバチかではあるが、戦争という緊張政策をずっと続ければ、うるさいマスメディアの口は封じられるし、支持率は上がるし、ずっといい、というのは「何の高尚さもない」話ではあるが、それだけ、ダブヤの本心に近いのではなかろうか。