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(回答先: Re:それで困っているんです。 投稿者 Silent Tears 日時 2003 年 3 月 28 日 22:44:57)
ご両人様
横入りすみません。
先日もSilent Tears さんからあっしらさんへの問いかけの時に横入りした者です。
そんなことないとは思いますが、変に話がヨレて、Silent Tearsさんもあっしらさんもどっかへ行ってしまうと困るので。
読み間違えてたらごめんなさい。
その場合には息抜きがてら、と思って読んでください。
もしかしたらSilent Tears さんは、あっしらさんを「ヒューマン」な話の場に連れて行きたいのですかね。
「罪のない人が死んでんだぞ!」とかそういうリングへ。
あっしらさんの各投稿は、読みようによっては「冷静すぎて」という風に読めなくもないかな、とは思います。
でも、おそらくですがあっしらさんはめちゃめちゃ熱いし男気もありますよ。
大任侠と言ってもいいくらい。
大きな意味での「人間」への愛と畏れも感じます。
怒ったりして解決するなら、真っ先に怒ってる人だと思います。
一応断っておきますが、わたしは「あっしら礼賛者」ではありません。
感性的には近いものを感じておりますが。
ただ、わたし自身もこちらの掲示板において、もうちょっと「ヒューマン」なことについて議論がなされてもいいんじゃないかと思っています。
ですので、そう言う以上、無礼ではありますが少し書かせていただきます。
非論理的になるのはどうかお許しください。
でも、論理は直観・直感のしもべだと思っています。
実際、今回はムダではないと思うんですよ。そういうことを話し合うのは。
各国のデモ等でもわかるように。
あれは「言葉にならないことば」ですよね?
自分の主張をうまく説明できない人たちが居ても立ってもいられなくて、「アカン言うたらアカンのや!」ってちゃんと感じ取って行動しているわけですよね(もちろん例外はあると思ってます)?
それは「子どもの論理」かもしれませんが、今回こういう流れにしてしまったのは「アホな大人の論理(ズルいくせにあんまり遠くを見ることができない)」なわけで−−。
そこでわたしが注目してるのが
「なんでジョン・レノンなん?」ってことです。
あちこちでイマジン(ジョンはここ数年でようやく好きになりましたが「イマジン」は大っ嫌いです。わたし、ずっとジョージ派でした)とか歌われてますが、ジョンって、その音楽を技術的に捉えたら歌もギターもそんなにうまくないし(わたしよりはもちろんうまいです)、ロックンローラーとしての評価は分かれるんですよ。
でもきっちりジョンなんですよね。こういう時って。ポールじゃなくて。
そこに注目してます。
「集団的無意識に訴えてる」とかそこまでは思いませんが、もともと反権威的な性格をもつロック史を考えたら、別に他の人でもいいと思うんですよ。
音楽的に「弁が立つ」のはジョンよりポールだと思いますし−−。
つまり「うまさ」や「完成度」だけでは、自然に人々の口から出てはこないってことで。
愛がなくちゃ(こんなん、恥ずかしいですけど)。
もちろん有名だからでは、ありますよ。
でも何故うんと有名になったのか、いや、「愛されているのか」?
マーケティングと言ってしまえばそれまでかもしれませんが。
敢えて使っているので「愛」とかに噛みつかんといてください。
でもそういう側面を論理の城にぶつけるのは、こういう事態では大事なんじゃないか、と。
「言葉をもたない人」と「正しい理論屋」の間に立つ人の存在とかが。
−−「愛」とかゆるい事を書いておいて、大分飛躍してしまいますが、こんな事を考えました。
既に「イスラムVS米英とその仲間たち」という最悪に近い構図になる可能性がちょっとでも出てしまった以上、さすがに人殺しの自覚のない日本人も呑気にはしていられないと思います。
つまり−−心配し過ぎと言われるかもしれませんが−−、仮に事が落ち着いたとしても「今日のように明日は来ない」可能性があるんだよ、ということがやっとわかるんじゃないか、ということです。
「自分の子どもさえ無事なら他人の子は死んでもいい」と思っている人たちに、「それ、既に人でなしの考え方ですけど、自分の子どもが無事な可能性も、実は前から低いっすよ。寝てました?」と、問いかけ、それを受け入れてくれるだけの下地がやっとできたんじゃないか、と。
あんまり変わらないと思いますが。自覚したとしても。
安全度とか、そういうことに関しては。
でももう個人の安全って−−畜生たちの平和世界ってのは絵になりにくいと思います。
でもそれで運動か何かが起きて、何かわかるかたちで彼らに「間違ってました。本当にすみません」ということを伝えられたら、これっぽっちの人間としての尊厳だけ、もしかしたら残るようには思うんです。
「謝ったんだから許してくれ」「誤解だ。小泉首相が勝手に支持しただけだ」とか、そういうのは罪なく殺された人々の家族とかには通らないと思いますし。
心からの「ごめんなさい」でもまったく不十分ですが、口だけになったとしても、「間違いを認めないよりはマシ」だと思います。
ですので、「たとえ口だけになったとしても謝る姿勢」、最後に人間に一瞬だけ立ち戻らせるために、ここに至るまでにメディアが使った腹立たしい「魔女裁判」と同じ仕組みの、古典的メディア・コントロールをしかける、というのは−−現実味はないのでしょうか。
きれいごと言ってられないと思うんで。
メディアが使った、卑怯かつ効果の高い「恐怖で理性を奪う」という手法を使ってでも日本として謝意を示す−−イスラムの怖さを、植え付けてということです。
根本的解決になんかほど遠いし、そもそもそんなところへわたしたちの手は届かないと思いますが。
こういうのも畜生道だというのはわかってますが。
めちゃくちゃになってしまいすみません。