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時間について、以下に私の考えを述べさせていただきます。
時間とは、そもそもある概念なのではないかと思うのです。
つまり、過去から未来へと一定の時間で流れると約束されたものであると考えます。
もしよろしければ、以下のURLに示された
内容をご参照ください。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~sugi_m/page001.htm
引用を何例か示させていただきます。
「巷ではよく「なぜ時間は、過去から未来へ流れるのか?なぜ反転しないのか?」と
いった議論がなされますが、それは、時間
が単なる概念にすぎないということを忘れた誤った議論といえましょう。」
"空間とは、空虚な広がりである、と言えます。物理的な実体ではありません。"
「しかしいくら簡潔であろうと基礎においた二つの原理が
矛盾しているのですから、その上に構築された理論が正しいものとなることは絶対に
ない」
「昔から”速度”というのは、
速度=[距離]/[時間]
で表されてきました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~sugi_m/page020.htm#cを中心に据えてしまった相対
性理論
それを、アインシュタインは、”時間”を速度cを用いて定義したのです。(ここで
「はっ」と気づいた人もいるでしょう)
おかしいと思いませんか?」
あなたの理性を期待して、このメールをお送りしております。あなた様の追求なさる
テーマからのずれは
認めます。
誠意あるご回答を期待いたします。
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ご返事が遅くなりましたのは、私自身がメディア社会に背を向けた生活をしているから
です。携帯電話はもたない主義だし、メール・チェックは月に一度(が努力目標)です。
その上、パソコンの扱いがへたで、あなたのホーム・ページがなかなか出てこなくて苦
労しました。その上、新年早々パソコンがトラブルをおこして年賀状も書けなくなるという
ありさまで、悲惨な状態がずっとつづいていました。ご返事はすぐに書けることなのです
が、パソコンに入力するのがどうしても煩わしく、紙に書いてファックスで送れば1分です
むのになあ、とか思いながら、ズルズルと一月近くたってしまいました。
ともあれ、お便りにありました、「時間とは」という件は私にとっては全く異存のないも
のです。
「概念」というのは、ものごとの「形、あり方」、という意味だと思います。これは、意識
の中の主観的な存在と考えられる場合と、客観的な実在として考えられる場合とがあ
ります。客観的に考える場合には、物そのものとは別に、「ものの形」そのものがどこか
にあることになり、イデアのようなものを考えなければなりません。数学者の中にはそう
いう立場の人もいますが、私は否定的です。あなたの場合は、「約束されたもの」と書
いておられますから、一応、主観的な意味での「概念」でよいだろうと思います。
「時間とは、過去から未来へ一様に流れると約束された概念である」というあなたの意
見が、みんなが時間のことをそう思っている、という意味でしたら、社会学か心理学の主
張になるでしょう。また、「時間は、一様に流れると約束された概念として扱うべきである
(あるいは、扱うことができる)」という意味ならば、あなた自身が時間をそういうふうに捉
えたいと主張していることになります。
それが、「主観的な、約束された概念以外に、真の時間など存在しない、あるいは、
確認できない」という意味でいわれているのでしたら、それは、一つの哲学的な主張で
あり、私の考えと同じです。(「時間とは約束された概念である」という以上、それ以外
に「真の時間」などない、という意味にどうしてもとれるのですが。)
だとすれば、時間という虚構の概念を設定し、定義(約束)して、一つの意味体系(理
論)を作ることは、もともと自由にできるはずです。「一様に流れる」というあなたの定義
も、可能な時間規定の中の一つに過ぎません。(もちろん、自然科学的な観察結果と
合致しやすいとか、心理的にもっともらしい、みんながそう思っている、等の根拠はあり
えますが。)
約束された概念によって成り立つ理論(公理系)は、数学などの場合は、現実世界と
一切関係がありません。(ですから、虚数がこの世に実在するかというような問いは無
意味です。)
物理学などの自然科学の場合も、理論そのものは、あくまでも概念上の「おはなし」
です。ただし、概念の中の一部が、われわれの経験する現実の一部と対応するように
定義してあり、(例えば、「時間とは、時計の針の動きのことである」というように)現実
世界の経験を解釈したり、予測したりするために理論が応用できるようになっています。
いわば、それは、摩訶不思議な現実を解釈し、予測するための「マップ」ですが、マップは
あくまでもマップであって、現実そのものではありません。従って、実数連続とか虚数
時間というものも、実体のない仮設(単なる地図記号)でしかないことになります。もちろ
ん、「約束された概念としての時間」というものも、地図記号の一つです。
約束された概念によって成り立つ理論(公理系)は、整合的であればどんなものでも
よいわけですが、自然科学の場合には、現実の経験を説明し予測する能力によって優
劣がつけられます。従って、過去から未来へ「一様に流れる」というあなたの時間規定
も、純粋に数学として扱うのか自然科学として扱うのかで意義は変わってくると思いま
す。後者の意味で考えるならば、他の理論(例えば、時間は一様に流れないというよう
な理論)と優劣を競い合うことになるでしょう。
そこで、相対性理論の話になると思うのですが、残念ながら、私自身は数学も物理も
完全に無知なので、批評する能力はありません。ただし、文系人間の素人でもすぐ気が
つく簡単な点を一つだけあげておきます。
引用しておられるアインシュタインの文章の中の「時間の概念を樹立し」という語句を
あなたは「時間を定義した」という意味にとっておられるのではないかと思いますが、そ
れは誤解ではないかと思います。(もしも他の箇所で、アインシュタインが、自分は時間
を定義したといっているとしたら、彼自身の誇大広告です。)
アインシュタインは時間の流れ方(例えば、座標系の間の相互関係)を考えたのであ
って、時間そのものを定義したのではありません。ローレンツ変換の公式を見れば分か
るように、ある座標系での時間t と別の座標系の時間tダッシュ、(さらにいえば、光速
度不変の原理に基づきc の中に含意されている絶対時間)の間の相互関係を公式化
したものが相対性理論です。物理学の場合、時間は「時計の針の動き」という便宜的な
形でしか定義できません。その上で、時間の流れ方を法則化したモデルが、ニュートン
力学であったり相対論であったりしますが、哲学的な意味で時間をダイレクトに定義する
ことは、そもそも自然科学の領域をこえているわけです。(もちろん、時間がどう流れるか
ということも、「時間の概念」の一部ではありますが) 「循環論で意味がない」という哲
学者の言葉を引用しておられますが、このように考えれば、それは当然のことです。
ともあれ、自然科学のことは、その方面の専門家といわれる人に聞いてみることをお
勧めします。まあ、素朴な疑問は大事にしたいと思います。それでは、お元気で。