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読売新聞3月20日夕刊を見たか。「米英軍、空爆開始」と2段抜きで黒地に白文字のキャッチ。「イラク指導部を標的」「イラク国民を解放」と特大見出しが躍っている。2面、3面はさらにケバケバしく、同じ2段2ページぶち抜きの見出し帯。ブッシュ大統領の大きな写真とバグダッドの軍事目標地図。4,5面も米軍兵士の勇壮な写真が全ページ埋まっている。社会面も同様に「時間切れ、運命の時」などと扇情的だ。むろん批判的ではなく逆の立場からだ。『東京スポーツ』も顔負け、いやそんなものではない。かの太平洋戦争勃発時の、戦意高揚を図った日本の新聞を彷彿させるような興奮ぶりである。一体どこの国の新聞なのか。
翌21日の朝刊も好戦気分が横溢しているが、国際部長、山崎勉という人の「9.11の恐怖 米国の大義」と題する解説記事を読んで、その米国礼賛ぶりに唖然とした。チェイニー副大統領を「ブッシュ政権の事実上の最高実力者」と呼び、チェイニーのテレビインタビューに触れ、彼の「9.11で世界は変わった。その変化が世界は分かっていないのだ」という言葉を引用した上で、山崎国際部長は「この恐怖感から見る時、イラク戦争には確かに大義がある」と書く。
9.11とイラクの間に関連性はないことはすでに常識になっているのもかかわらず、「大義がある」という書き方をするジャーナリストがいるとは驚きだが、一応イラク問題を棚上げしても、「9,11による恐怖感」とは何なのか、その実体は何なのか、米国民は本当にそれほど大きな恐怖感を抱いているのか、またそれがどうやって醸し出されたか等々を、米国側がそう言うから信じるのではなく、客観的な立場で検証するのがジャーナリズムであろう。
そもそも「9,11で世界はガラッと変わった」「9,11がわれわれを変えた」などと、ブッシュ大統領や側近をはじめ、いわゆるタカ派の共和党議員たちが何かと言えばすぐ口にするが、いつまでもいつまでも、みっともないと思わないのだろうか。もしこれがプロパガンダではなく、真実の気持を表しているとすれば異常である。数千人の犠牲者が出た大犯罪事件ではあるにせよ、たった一回である。またアメリカのどこか一部の町が攻撃されて制圧されたわけではない。1年半も経過して、いい大人が、さながら幼児期のトラウマみたいに自らを捉え、忘れまいとする心理はビョーキとしか言いようがない。あるいは、甘く育てられた子供が、初めて母親に叱られてびっくりし、以来いじけてしまって八つ当たりしているといった図を連想する。もし本当にアメリカ国民の過半数がこうした心理状態にあり、いまだ覚めていないとすれば、これほど恐ろしいことはない。激しい恐怖は一種の狂気だ。見境なくなり、何をするか分からないからである。むろん覚めていて操っているグループがいるのであろう。いずれにせよ、読売新聞がそれほど人間の恐怖感に鋭敏であるならば、より切実なアフリカにおける飢餓の恐怖感、より確実なパレスチナにおける死の恐怖について連日大報道したらどうか。