現在地 HOME > 掲示板 > 議論・雑談9 > 119.html ★阿修羅♪ |
|
【最後通告】
首相はなお言葉を尽くせ
米国のブッシュ大統領は「不介入」による悲劇を招く前に、対イラク「介入」という不退転の決意を示した。ブッシュ大統領は十八日、ホワイトハウスからのテレビ演説で、イラクのフセイン大統領が四十八時間以内に政権を手放して亡命しない限り、武力攻撃するとの最後通告を行った。イラク問題をめぐってこれ以上、国連安全保障理事会が空転しては、イラクによる米欧分断作戦を許すことになり、体制延命の時間稼ぎに使われることを考えれば、ギリギリの決断である。
≪介入に不退転の通告≫
ブッシュ大統領の最後通告は、支配地域に君臨する残忍な独裁者には容赦せず、彼に従うイラク軍に対してはすべての武器を捨てるよう呼びかけた。一方で通告は、自由を求めるイラク国民に対しては支持を表明し、新生イラクの建設のために経済支援するとの妥当な内容だった。
最後通告は武力行使の根拠として、新たな武力行使容認の決議案を重ねて採択しなくとも、昨年十一月の安保理決議一四四一で十分だとの判断である。だが、それより以前に湾岸戦争の停戦を決めた決議六八七への明白な違反であり、湾岸戦争を承認した決議六七八のときの交戦状態にもどっているといえる。
他方、米国がこの決議一四四一を武力攻撃の根拠にしていることに、「決議は武力行使を明示していない」との批判がある。だが実際には、一九九〇年八月に外国人を人質にとった対イラク制裁の際にも、決議は「特定の状況が必要とした場合、それに見合った処置をとる」とするなど、「武力」という表現を使わないケースがある。
国際法で武力行使が認められるのは、国連決議と自衛権の行使の場合である。しかし、こうした事実から引き出せる明白な結論は、残念なことに力を背景としなければ、国家間の緊張や紛争を解決できないということだ。たとえ武力行使が非難の対象になったとしても、見過ごすことが自国民に大きな災いをもたらすことを為政者が知りながら、これを放置することは断じてできないのである。
フセイン大統領はそうした米国の決意を過小評価していた。原油の利権を武器にフランス、ロシア、中国など常任理事国の切り崩しに成功し、テレビを使って巧みに国際世論を誘導してきたつもりだった。しかし、多くの独裁者がそうであるように、フセイン大統領もまた意見を異にする政府高官、軍幹部を更迭し、自ら引き下がる道を閉ざしてしまった。
ブッシュ米政権とその国民が置かれている緊迫した精神状況は、二〇〇一年の米中枢同時テロ以来、少しも変わっていない。米本土がテロの標的になり、抑止力の効かないテロ支援の独裁国家が大量破壊兵器で脅しをかけてくることが想定されれば、政府はブッシュ大統領が指摘したように「手遅れになる前に脅威を排除しなければならない」のだ。
≪核武装目論む「北」の抑止≫
何度でも指摘すべきは、イラクのフセイン政権が過去二十三年間に五つの周辺国家を攻撃し、湾岸戦争後の十二年間には十七にのぼる国連決議を無視してきたことである。これに対し米国は「先制攻撃」も辞さない姿勢を示しつつも、国連を無視することなく、幾つもの安保理決議を積み上げ、一月といわれた単独攻撃をいったんは踏みとどまった。
こうした米国の決断に小泉純一郎首相が十八日、説明が不十分ながらブッシュ政権の決断を明確に支持する方針を示したことは高く評価できる。特に、首相が「日米関係の信頼性をそこなうものは国益に反する」と指摘したことは、核武装を目論(もくろ)むもう一つの独裁国家、北朝鮮を目の前にする日本にとって、いかに重要であるかを示唆している。
それにしても小泉首相の国民への説明は、国民に直接的に訴えるブッシュ大統領に比べるとまだまだ言葉が少ない。とりわけ国連安保理が、仏独露などの武力行使反対から機能不全を起こしている中で、もっと言葉を尽くして国民に説明責任を果たす必要がある。テロとテロ支援国に対する戦いは、政治指導者と国民が一致して取り組むべき過酷な政治局面にあるからだ。