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(回答先: Re: 分らない事は、「分らない」と言うこと。 投稿者 Inda 日時 2003 年 4 月 18 日 14:15:42)
こんちは。
えーと、分からないものには2種類あると思います。たとえば、「この宇宙には終わりがあるかないか」みたいな話。
いまでこそ電波望遠鏡もあるし理論もあるので、ある程度の仮説が立てられますが、釈迦(ゴータマ。シッタルダ)が生きていたころにはそんなものはなかったので、彼は「そんなこと考えてもわかんないんだから考えないほうがいいよ」と弟子を諭したりしてます。で、仮にもっと観測技術が進んで「宇宙はあと532億4561万1987年345日6時間32分49秒後に崩壊する」てなことが分かった(証明された)としても、だからといって僕らにどう出来るものでもないですね(笑)。確かに考えてもしょうがない。
この手の話は、みなさんが仰る通りで「分からないものは分からない」というのは全く正しいと思います。
が、いま、あっしらさん(達)が展開されている「イラク=アメリカ合作説」というのは「宇宙に終わりがあるか」というタイプの「わからなさ」と同じではないと思います。
そういうものに対して「分からないものは分からない」と言っちゃうのはちょっとマズイような気がするのです。宇宙の終わりは人間の行為の範疇を超えますが、ブッシュだろうがフセインだろうが人間です。仮にその後ろに狡猾極まりない、しかも巨大な資本を持った××○○が居たとしても、人間は人間です。
その人間がやることに対して「分からないものは分からない」と諦めるのは・・・ま、これは趣味の問題でしょうけど、個人的にはイヤですね。仮に真相を知って絶望的な気分になったとしても。負けて溜まるかです(笑)。そういう場所なんでしょ? ここって。違うの?
失礼しました。