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養老孟司・評
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帝国以後 アメリカ・システムの崩壊
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エマニュエル・トッド・著<藤原書店・2500円>
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◇乱暴な仮説が導く明快な世界像
ああ、これが読みたい本だったのだ。読み始めたとたんにそう思うことは、めったにない。
イラク戦争の報道がやんだ。私は空襲の下で育った世代だから、戦争記事なんか、まっぴらである。しかし大きく報道されるから、まさにイヤでも目に入る。それが終わって、じつはほっとしている。
私自身が知りたいことは、なぜ世界にこういうことが起こっているか、その筋書きだった。新聞を読んでいるかぎり、それがわからない。仮にテロが問題なら、ビン・ラディンはどこにいるのか。
テロも兵器も、なんの関係もありません。じつはこういうことです。それを人類学者が説明する。それがこの本である。話は簡単である。「世界が民主主義を発見し、政治的にはアメリカなしでやって行くすべを学びつつあるまさにその時、アメリカの方は、その民主主義的性格を失おうとしており、己が経済的に世界なしでやって行けないことを発見しつつある」。そこには二重の逆転がある。「先ず世界とアメリカ合衆国の間の経済的依存関係の逆転、そして民主主義の推進力が今後はユーラシアではプラス方向に向かい、アメリカではマイナス方向に向かうという逆転である」。
もちろんこれは、旧ソ連の崩壊後の世界の話である。ソ連崩壊後の世界について、これだけ乱暴かつ明快な仮説を私は読んだことはない。著者はアメリカをローマ帝国と比較しながら、現代世界におけるアメリカの役割を説明する。欧州および日本という「属領」からの貢納が、アメリカという本国を経済的に支える。アメリカが持っているのはローマ軍団、つまり軍隊である。それもアフガンやイラクのような弱小国に対する力にしかならない。だからアメリカの戦争は「演劇的」なのである。
いわゆるグローバリゼイションの正体が、こうした見方から明らかにされる。アメリカはつねに輸入超過だが、その赤字を補填(ほてん)しているのはなにか。とくにここ数年では、どうなっているか。私は経済は素人だから、著者の解釈が正当かどうか、それは知らない。しかし日本のメディアで、こういう説明をしてもらったことはないような気がする。
なぜ人類学者なのか。著者が社会を判断する基準にとるのは、たとえば出産率である。それによって社会がどのような発展段階にあるか、それがわかる。その変化は、たとえ微小であっても社会の変化を反映している。さらには家族における兄弟の優先順位である。日本とドイツは長子相続型であり、そこから両者の「奇妙な」共鳴が生じる。
大きな筋書きを隠蔽(いんぺい)するために細かい「事実」を報道することが、いまではほとんどメディアの習い性になっている。だからこういう大きな仮説を土台にした本を読むと、必要以上にすっきりするのかもしれない。念のためだが、これはいわゆる「反米」本ではない。チョムスキーの本について、著者は壊れた時計でも一日に二度は時刻が合うという。
この本に書いてあることがすべて本当だなどとは、夢にも思っていない。しかし、こういうふうに考える「べき」なのである。仮説が間違っていれば、訂正すればいい。いまの日本の学界に欠けているのは、この種の思い切った仮説である。右も左も配慮して、穏当な意見を吐くのが学者の仕事だと私は思わない。それでは事実は現状の通りですといっているだけだからである。(石崎晴己訳)
(毎日新聞2003年5月11日東京朝刊から)
http://www.mainichi.co.jp/life/dokusho/2003/0511/04.html