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2003年5月10日 土曜日
(前略)主権が国民国家の次元を離れて、あらたな姿で成長し始めているのではないか。単一の規則の論理のもとで、さまざまな国家的および超国家的な組織が、ひとつの帝国を形成し始めているのではないか−−これが著者の仮説である。
近代を通じてヨーロッパの帝国主義は、国民国家の主権をその礎にしてきた。しかし今姿を著し始めている帝国(Empire)は、帝国主義(Imperialism)とはまったく異なるものだという。なぜか。近代の帝国主義はほんとうの帝国を構築するものではなく、ヨーロッパの国民国家の主権を外部に延長したものにすぎないからだ。その証拠は、世界のほとんどの地域は、ヨーロッパの国旗の色で塗り替えられたことだ。インドはイギリスの旗の色で、ギアナはフランスの旗の色でなど。そして植民地にされた国は、宗主国の支配のもとで、同じような階層的な政治構造を構築させられ、明確な国境のもとで、他国の支配を排除する。
しかしこの体制の崩壊とともに、新しい帝国が誕生する。帝国主義とはことなり、帝国は権力を国境で制限しない。固定した国境や障壁に依拠しない。「帝国は脱中心的で、脱領土的な規則の装置であり、これは開かれた拡張するフロンティアの内側に世界の全体の領域を段階的に取り込んでいく」(xii)。帝国には、帝国主義の諸国のような単一のアイデンティティはないし、階層構造も柔軟だ。もはや帝国を旗の色で塗り分けることはできないのである。
このような転換によって、資本主義の生産様式にも変動が生じていると著者は指摘している。とくに第一世界、第二世界、第三世界という区別ができなくなったことが注目される。第一世界のうちに第三世界があり、第三世界のうちに第一世界があり、第二世界はもうほとんど姿を消したからだ。世界的な取引の流れが構築されるなかで、中心的な生産プロセスそのものも変身してきた。工場の労働者の役割が低下し、コミュニケーション的で、協力的で、感情をもつ労働者が重視されるようになる。グローバリゼーションのうちでは、生−政治学的な生産において、社会の生命そのものの生産において、富が生み出されるようになる。経済、政治、文化がますます重複し、他の領域に投資し始める。
このグローバリゼーションのプロセスを支配し、新しい世界の秩序を構築する最終的な権威をもっているのはアメリカ合衆国だという意見をよく聞く。これを賞賛するとしても、帝国主義的な抑圧者として非難するにしてもだ。しかしハート/ネグリはこれはヨーロッパが失った帝国主義の役割を米国が引き受けていると想定するという誤りをおかしていると考える。「アメリカ合衆国は、そして今日ではいかなる国民国家も、帝国主義的なプロジェクトの中心となることはできない。帝国主義は終わったのだ。近代のヨーロッパ国家のような方法で、世界のリーダーになれる国はもはや存在しない」(xiv)。
著者は米国が「帝国」で特権的な地位を占めていることは認める。しかしこの特権は、米国が近代のヨーロッパの帝国主義の国家と類似しているからではなく、異なっているから生まれたのだというのである。それは米国の憲法が帝国主義ではなく、「帝国」としての特徴をもっていることからも明らかだという。米国の建国の祖たちは、大西洋の彼方に、国境が開かれた新しい「帝国」を建国することを夢見ていた。そして権力はネットワークのうちに効果的に分散されていた。書かれた憲法においても、その憲法に基づいた国家体制においても、米国はますまず成熟し、地球的な規模でそのほんらいの姿を現し始めたというのがハート/ネグリの主張だ。
帝国主義から帝国へ (序ー1):http://www.nakayama.org/polylogos/empire01.html
増田俊男氏の最新のコラムを読むと、アメリカ人がパリでかなりコケにされているようだ。これはフランス人のみならず、ヨーロッパ人全体に見られる傾向のようだ。増田氏が英語でタクシーで行き先を告げたら乗車拒否されたそうだ。アメリカ人はパリのホテルを予約しても満室だと断られる。これはイラク戦争のずっと以前から見られた傾向だ。
ヨーロッパ人から見れば、アメリカ人は俄か成金の田舎者に過ぎない。ブッシュ大統領はまさしくカウボーイの田舎者だ。そのアメリカが軍事力に任せてイラクを占領した。アメリカはイラクを新たなる「日本」にしたいらしい。その日本と日本人は経済的繁栄に目が眩み、自国が帝国の支配下にあることに気がつかない。
ヨーロッパの帝国主義が、アメリカにおいてはグローバリズムがイデオロギーになっている。帝国主義が宗主国と植民地という国境が存在するのに対し、グローバリズムは国境を超越する。アメリカ帝国は日本に対し、国境を越えてグローバリズムの名の下に、アメリカ流になんでも変えてしまい、日本は二度とアメリカに歯向かえないように国民を洗脳してしまった。
日本人はディズニーランドへ行って、コーラとハンバーガーを食べ、ジーンズとTシャツをみんな着ている。そして髪の毛まで金髪にみんな染めている。そしてヒップホップの音楽を聴きながら、ブレイクダンスを踊っている。このような光景をヨーロッパ人が見れば嘆くだろう。日本はアメリカの下賎な文化に汚染されたと見られるだろう。
日本には日本の伝統文化があるはずなのだが、そういうものはやがて忘れ去られ捨てられてゆく。日本の支配階級も日本人をアメリカ人として洗脳教育をしているように思える。アメリカは左翼と連帯を組み東京裁判史観を植え付け、日本人が日本人として誇りを持たないように愛国主義を否定した。そのイデオロギーがグローバリズムである。
かつて全世界を支配したヨーロッパ人から見れば、アメリカ帝国の実態がよくわかるのだろう。だからこそアメリカ人はヨーロッパではコケにされ、バカにされ、田舎者扱いされるのだ。日本人としてもヨーロッパの視点からアメリカを見るべきだろう。その為にもハート/ネグリの『帝国』は読むに値する。
ハート/ネグリの『帝国』を読む リベラシン書評目次:http://www.nakayama.org/polylogos/empire.html