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本を片付けろという厳命を受けて本の整理をしていると(笑)、イラク・フセイン政権に関する記事が掲載されている古い「ニューズウイーク」が見つかった。
7年ほど前の1996年の「ニューズウイーク日本版9・18」である。
(湾岸戦争から5年半後で、98年の「砂漠の狐作戦」の2年ほど前の時期)
1996年9月初旬に、米国クリントン政権は「砂漠の一撃作戦」を実施した。
「ニューズウイーク日本版9・18」のメイン記事である「イラク攻撃:最後に笑うのはフセイン?」(P.12〜17)から経緯を簡単に説明する。
「砂漠の一撃作戦」は、クルド人地域で起きたクルド愛国同盟(PUK)とクルド民主党(KDP)の対立にフセイン政権が軍事介入したことで行われたものである。
そして、「クリントン大統領は、一部の首脳から異論が出ることを覚悟していた。なにしろ今回は、イラク軍が隣国に攻め込んだという話ではない。サダム・フセインは濃くネイで兵を動かしただけ。互いに敵対するクルド組織の一つから派兵要請があったという大義名分も得ている。」というものである。
面白いのは、北部クルド人地域での軍事的対立でありながら、「米軍の攻撃対象は、クルド人自治区の中心都市アルビルに侵攻した大統領警護隊ではない。イラク南部の地空防御網をたたく、「飛行禁止空域」を拡大して米軍機の安全を確保するのが今回の軍事行動のねらいだ。」という軍事行動を行っていることである。
まさに、今回の「イラク侵略戦争」と同じように、フセイン政権の暴虐を理由とした“反フセイン派南部シーア派虐殺”の軍事作戦なのである。
国際社会も、「それでも、同盟国の冷淡な反応は予想を超えてた。フランスは、アメリカが拡大を決めた北緯三二度以北の「飛行禁止空域」について、監視飛行への参加を拒否。公の場でアメリカ支持を明言した盟友イギリスも、舞台裏では攻撃の法的根拠が弱いと懸念していた。そのイギリスが国連安全保障理事会に提案したイラク非難決議案は、結局ロシアの反対で日の目を見なかった。」と説明されている。
1996年9月のイラク攻撃は、「軍事面だけをみれば、今回の「砂漠の一撃作戦」は大成功だった。四四発の巡航ミサイルは、ねらいどおりイラク南部の防空施設を破壊。米軍の人的被害は皆無で、イラク側の犠牲者もごく少数にとどまった。そしてフセインは、アルビルから軍を引き揚げた。」というものだった。
同誌のP.14に攻撃作戦のマップが出ているが、ミサイル攻撃とグアムからB52を使って行った空爆対象は次のようなところである。(B52はグアムkら往復34時間かけて空爆したと説明している)
ナシリアとナシリア近郊のタリルにある軍用飛行場、クート、そして、カルバラ近郊のイスカンダリヤという南部諸都市が空爆の対象になっている。
今回の「イラク侵略戦争」の主要激戦地からバスラを除外したところと考えればわかりやすいものである。
「砂漠の一撃作戦」に関連する記事として、別立てで、「中東政策:フセインは必要な「悪役」」という面白いものがあった。
直接的な表現ではないが、婉曲な表現で「米国政権−フセイン政権合作説」を示唆したものである。
書いているのは、当時CFRの機関誌「フォーリン・アフェアーズ」の編集長であったファリード・ザカリア氏である。(ザカリア氏は現在ニューズウイーク国際版の編集長)
7年ほど前の記事なので全文を引用する。
「中東政策:フセインは必要な「悪役」」 P.21
− アメリカが中東の主導権を握れるのは、この独裁者のおかげだ −
『ブッシュ政権で要職に就いていた人物が、このごろ盛んに嘆いている−湾岸戦争に関する講演をするたびに、海上の誰かが立ち上がって叫ぶんだ。「なぜ、とどめを刺さなかったのか?」って。
サダム・フセインの今回の軍事行動と、それに対する米軍のミサイル攻撃は、アメリカ国民のそんな不満をいっそうかきたてる。やはり湾岸戦争はまだ終わっていなかったのか?アメリカの中東外交は失敗だったのか?
とんでもない。もしサダムがいなかったら、アメリカは自分で手でサダムを「創造」しなければならなかったはずだ。彼こそはアメリカの中東外交のかなめ。サダムがいなければ、アメリカの中東政策は今も砂漠をさまよっていたにちがいない。
ペルシャ湾岸地帯は、アメリカにとってきわめて重要な地域だ。先進工業国の生命線である石油が膨大にあるし、歴史的にアメリカと深いつながりがある。だからアメリカとしては、この地域を反米的な国が支配するのを認めるわけにはいかない。
これは四〇年以上も一貫している政策である。一九五〇年代にエジプトが唱えた汎アラブ主義に異議を唱えたのも、九〇年にイラクによるクウェート侵攻をつぶしたのもそうだ。
この地域の勢力バランスを保つには視野の長い政策が必要であり、長期的な外交政策の実行には国民の支持と同盟諸国の支持が不可欠である。この二つを確保するうえで、サダムの存在は大いに役立っている。
サダムがいなければ、サウジアラビアの王家は米軍の駐留など許さなかっただろうし、中東政治の風見鶏と呼ばれるヨルダン国王も、海兵隊が領内で訓練するのを認めなかったはずだ。
敵を欠く同盟はもろい
もし存在するだけで足りなければ、サダムは自分の存在を思い知らせるための行動に出る。九三年にはブッシュ前大統領の暗殺を企てた。イラク産原油の輸出禁止を解除しようという機運が高まると、とたんにクウェート国境に集結させた。そして今回、経済制裁で苦しいイラク国民の生活に同情が集まると、三万五〇〇〇の軍隊を出して北部のクルド人の町を制圧した。
こんな立派な悪役がいてくれれば、アメリカには「友」がいなくても大丈夫だ。実際、今回のミサイル攻撃は同盟国や国際社会ですこぶる評判が悪い。世界の超大国が小国に武力を行使すれば、非難されるのは世の常だ。
だが湾岸戦争のとき、もしもアメリカがサダムのクビを取っていたら、おそらく厄介な難題を背負い込んでいたはずだ。北にクルド人、南にシアー派の反体制勢力をかかえて、イラクを統治していくという難題である。もちろん、フセインならイラクを統治できる。恐怖政治で押さえつけるからだ、だが民主国家のアメリカには、そんなまねはできない。
それに、サダムがいなくなれば、反サダム同盟もなくなってしまう。敵を欠く同盟関係ほど、もろいものはない。四五年にナチス・ドイツが敗北した後、アメリカとソ連の間に芽生えつつあった絆は一気に切れた。ソ連という敵をなくした北大西洋条約機構(NATO)は今、途方に暮れている。
サダム問題を早急に「解決」したい気持ちはわかる。彼は邪悪な政権を握った邪悪な人物で、とりわけイラク国民がつらい思いをしている。だがサダムがいなくなれば安泰かというと、そうでもない。
「サンドバッグ」が必要
一番の問題は、サダムがいなくなれば、中東の反米感情が確実に高まるということだ。中東諸国では、汎アラブ主義が浸透し、好戦的なイスラム政治が行われている。この地でアメリカに対する憤りが高まれば、親米的なクウェートのような国も大っぴらにアメリカを支持するのはむずかしくなる。
外交政策は一回限りの取引ではない。現在進行形で続くプロセスなのだ。脅威となる相手がいなくなれば、湾岸地域でアメリカが長期間主導権を握っていくのはむつかしいだろう。牙を抜かれてもなお脅威を与え続けるサダムがいればこそ、湾岸諸国はアメリカの利害を守ろうとするのだ。
かつて、アメリカ政界の「憎まれっ子」だったリチャード・ニクソンは、カリフォルニア州知事選に敗北した六二年、記者団を前に言い放った。使い慣れたサンドバッグを失って、諸君もきっと寂しくなるぞ、と。
パンチを浴びせるサダムがいなくなったら、アメリカの中東政策はいったいどうなってしまうのか。
』
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※ 参照書き込み
『米国歴代政権とフセイン政権の“長期同盟関係”を読む − 「イラン−イスラム戦争」から現在の「イラク侵略戦争」まで −』
( http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/1033.html )
『「イラク侵略戦争」(中東「近代化」戦争の端緒)関係の書き込みリスト』
( http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/1000.html )