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(回答先: 青草の民さんへのレス:朝廷(天皇)の思想と縄文の思想は、対立関係にある。 投稿者 生命の無限 日時 2003 年 5 月 04 日 01:15:25)
現在の全体主義・思想統制国家へ傾斜するネオコンアメリカvs日本と、朝廷(ヤマト)vs縄文コミュニティーとは非常に似ている拮抗関係にある。朝廷側の官製神道による日本全土への思想統制は徹底していた。いわゆる神道と縄文の霊性についての考え方は根本的に違っており、縄文の霊性の原理=「魔」の原理(万物に等しく偉大な精霊が宿っているという考え)を封じ込めようとした。魔を風封じ込める、つまりあらゆる生命に等しく宿る偉大な力を否定し、権力を自分の血族に集中させようと試みた。自分の血族の背後に立つ霊だけが偉大だというレトリックを組み立てた。
ネオコン思想の源泉的基盤はプラトンの作品「共和国」に見られる「哲人政治」なのである。シュトラウス教授の学問的作業の中心はプラトン解釈なのである。彼はニーチェにも傾倒しているが、プラトンにおける「哲人」ニーチェにおける「超人」つまり、ごく一握りのエリートに絶対的に権力を集中させ民衆を家畜のように導くというエリート思想のレトリックを組み立てたのがこのシュトラウスなのである。
太田龍と言う人は、残念ながらシュトラウスも、朝廷(天皇)思想もその核心部分、問題点を捕まえるにいたっていないのである。西洋の各種の秘密結社が伝統的にプラトンのリーダーシップ論を中心思想を一貫して担ってきていることをご存じないこともあり(つまり西洋のオカルト秘密結社の思想的核心をご存じないようだ)、朝廷思想、オカルト秘密結社(アメリカ権力エリートのひとつの背骨)、ネオコンの共通の問題を統一的パースペクティブで把握できないのだ。
彼には日本の直面する問題を混乱なく整然と摘出できないだろう。論理の矛盾を解決できないはずだ。
ストラウス政治哲学の核心を引っ掴むため彼のプラトン解釈作品である以下の著著をすすめておこう。
「Studies in Platonic Political Philosophy」(83年)
Pangleという子分、ウォルフビッツの兄弟弟子が序文を書いている。
ちなみにシュトラウスはホッブズ思想にも魅入られているがその核心はホッブズの、混乱にあっては、民衆は専制政治を受け入れるという思想部分であり、ネオコンのWar on Terrorism戦略のレトリックをシュトラウスはこの面からも準備したものである。
朝廷思想は思想の自由を認めず、垂直権力的に民衆を弾圧する政治哲学をもち、生命の持つ魔力、すべの人間、生き物の生命のいきいきとした不可視だが偉大で無限な創造的力(spirit)を恐れ,封じ込めんと徹底弾圧にでたものであり、朝廷(天皇制)の論理は、縄文日本にとって、民衆の力を徹底して否定弾圧する外来ネオコン思想だったのである。
なまはげ祭りに見られる「鬼」は生命の「魔」的力の象徴であり、朝廷思想に抵抗した縄文の生命的理解の側に立つもの、その思想的名残りである。
日本列島の住人はこの惑星地球のすべての生きとしいけるもののspiritを守るために「鬼」となり、生命を封じ込めんとする勢力を,逆に封じ込めていく必要があるのである。朝廷、オカルト秘密結社、ネオコン、もっといえば、採取的には世界の教典宗教などの一切を封じ込めなければならないのである。
生命の思想が勝つか死の思想が勝つか。万物の生命のため鬼となって立ち上がれ、列島の人々よ。