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(回答先: Re: 横からゴミレスで失礼 投稿者 Ddog 日時 2003 年 5 月 01 日 00:00:45)
>Q「勝つ」とは具体的にどんな概念ですか?
岩住氏のそちらの元投稿は、「日本人についての定性論的な見解」ということ、ですね?
そちらの文脈からすれば、「勝ち抜く」の意味は市場競争の意味を多分に含むであろうこと・・と理解します。
>Q個人差を無視して「民族」として一律に決めつけるなんていう、そんなステレオタイプな
>おだて、や有頂天な自惚れこそ、私たちを破滅へと追いやる洗脳の罠になりかねません。
>そんな事では、わが民族は傲慢で短気で自惚れで物事を論理立って考えられず、
>自分の考えを持てず、自我意識が未熟な馬鹿馬鹿畜生も同然ではないか?
>Aどうでもいいが、論法がぐしゃぐしゃだね。民族論を論じているのに、
>民族内の個人差を無視するな、と書いておいて、自分で「わが民族は傲慢・・・・」とは、
>私の揚げ足とりに格好な文だね(笑)出直しておいで。
そこの上の部分は、
「ほかの民族との民族的「優劣」を一律に決めつけるのは適切とは言えないのではないか」
のつもりですが、3行目からの
「おだてられ続けていい気になっていると、民族は傲慢になって破滅する」
は、「よそとの優劣の比較ではなく、自分たち集団内において、全体的な雰囲気あるいは民意がそんな経過をとりかねない」と言いたかった訳です。
小生の表現が、多少粗雑だったかも知れません。
岩住氏のカキコでは、優越論の扇動意図でなく印象の意味が強そうですし、続いてその理由の解説も述べられておられますので、これくらいにします。
>(統一教会にこだわった理由)
「global-eye」あたりの転載資料中に見られる論法に、一種共通する「ニオイ」をどうもやたらに疑ってしまったからです。信者ではない、ということでしたら失礼しました。
一方で、統一教会のような不審団体の人物が宣伝目的で、こういう板に何か書き込んでいても不思議はないため、Ddogさんへの直接のメッセージという意味ではなく不特定多数への関心の喚起も兼ねたつもりでした。
>Aさあ、少なくとも日本人は、統一教会と聞いただけで、まともな団体と思う人は
>いないだろう。**学会よりも社会的政治的地位は低いし、認知されていない。
普通の市民の目に、闇に紛れたその直接の姿は、よく見えないでしょう。
しかし、統一教会の活動実態や、背後に拡がる学者や国際人脈、連中の教義内容や悪事、といった情報を漁るにつけ、深刻な脅威を認識せざるを得ません。
したがって、わざとらしく触れる事にしたのです。
>(若者のしつけ)
企業人、社会人としての一般的必要性に関しては、もちろん特に異論はありません。
小生の観点はそちらではなく、この種のテーマが提起されるたびに、
若年世代を一層無能従順に仕立てる目的で、
ドサクサ紛れに「しつけ」の機会に便乗し、「しつけ」を口実に、
カルト洗脳プログラムの教育制度化に同意を求めようとする意図が含まれはしないか?
を、つい連想したからでもあります。
>じゃあ君は、小泉支持者か?・・・・君は、小泉を支持するのか?論理的な考証も
>しないで小泉を支持する日本を愁いているのに、・・・
個人としては、支持/不支持という観点は持ってはおりません。
ですが、どのような情報をもとに、どのような考え方を持つ人たちが、どのような判断を下すか、を注視はしています。
あるいは、円レートを切り下げれば、合理性のある景気浮揚効果を期待できるでしょうが、
もし仮に、「経済情勢に見合った円レートの合理的調整は絶対に許されない」恫喝の掟のようなものが国家を超えて強いられているとするならば、円レート調整による合理的な経済活性化の身動きは取りにくいのではないんでしょうか。
IM●に出資しているのに、「4条」とやらで通貨政策が拘束され続けるのかも知れない。(だからと言って、日銀に対する何か個人的物言いのつもりではありません)
国際投機筋は、更なるドル安を期待しているのか、どうか。
>ところで、20年前スパイ防止法を制定しようと運動していたのは、
>国際勝共連合=統一教会じゃあなかったかな?なんか矛盾するね。
スパイ防止法は、確か「外国(国家)のスパイ」が対象であって、統一教会のような国際宗教団体は取り締まり対象としていなかったのではないんでしょうか?
>Q「崇高」・・・そういう曖昧な表現が・・・・・
>採算の取れる高速道路ではない、実力を伴わない「道」は、自滅の誇大妄想では?
>A,答える気にもならない文章だ。人類の未来を守る技術開発や、
>貢献を崇高と表現することに反対なのか?だいたい、内容は意味不明だ。
エネルギーや食糧問題などの技術開発や、政治ゲーム的意図のない災害援助や教育や社会的貧困からの脱却援助、などへの純然たる貢献といった主旨でしたら、特に異論を添えるつもりはありません。
しかし、現実の世界を見渡すとき、──同じ様な事を繰り返しますが──仮に、独善的に高揚した「善意」や「正義」や「国際主義」を「貢献」に重ね合わせ、政治・宗教的な「崇高さ」の独り歩きを国家レベルで野放図に許してしまうとどうなるでしょう?
いつの間にか、「奉仕」「貢献」が国際義務や責任や独善にすり替えられたり、
本人たちが「これは崇高だ」と思っていて実はやっている事が正反対に、貢献を受ける側に破壊的効果を及ぼし、更には自己目的化して際限なく暴走しても、
目的と手段との乖離を自己点検すべき軌道修正の機会が骨抜き無効化するかも知れません。
そうなれば、「高尚な親切」が、逆に他国他者への破壊干渉あるいは侵略行為に陥りかねない。
挙げ句、国家の権威やお墨付きのもとで国民を動員し、政治・宗教がかった余計な「貢献」を世界中にひけらかしたばっかりに、かえって自国や自国民の立場や利益を損ない、自分たちが悪い形で報いを受けはしないだろうか。どこかで聞きそうな話です。
そういった意味で、
自分たちが「自己管理が可能かつ高い運用価値を保証し得る思想範疇(「採算のとれる高速道路」)」を逸脱して、
実体内容が伴わないのに大それた「善意」や「正義」や「責任分担」や「崇高さ」に従って独善的に他者に振りかざす「道」は、「貢献」する側もされる側もかえって利益を損なうおそれはないのか・・・を、「崇高さ」という言葉から連想した訳です。
一言で、「ゆとり教育」や「崇高」のような、玉虫色的表現や理念を国政の公的目標に掲げるのは、上記のような政治的本末転倒の「亡国の罠」にかかりやすくなるリスクを低減するという意味でもやはり避けるべきではないか、が小生の意見ということではあります。
>Ddog:傍観者君は国連主義で、米国偏重でないを国際協調を主張されているのだろう。
汎国際主義のような考え方は、どちらも持ってはおりませんので・・・
とりあえずは、これにて。