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天皇が結ぶ日韓の縁 ニューズウィーク日本版
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投稿者 TORA 日時 2003 年 5 月 27 日 04:30:58:

(回答先: 韓国の事大主義の悲劇 投稿者 TORA 日時 2003 年 5 月 27 日 03:56:09)

大和朝廷の皇太子と結婚した高野新笠(たかののにいがさ)は、百済の武寧王の血を引いていた。だが第二夫人の彼女は、朝廷に渦巻く陰謀から必死に身を守らなければならなかった。
 夫の白壁王は770年に光仁天皇として即位。第一夫人とその息子は、朝廷に災いをもたらしたとして幽閉された。代わりに世継ぎとなったのが新笠の息子で、781年に桓武天皇として即位した。
 桓武天皇には「韓国人」の血が流れていた。だが、国体護持にこだわってきた日本は、この話を何世紀にもわたってあいまいにしてきた。朝鮮半島から継承した文化的、歴史的、血縁的な「遺産」を直視してこなかった。
 両国が共有する歴史を直視しなければ、日韓関係は改善しない。韓国側は、「健忘症」は日本の文化だと批判し、それが強制労働や従軍慰安婦といった植民地支配時代の残虐行為に日本が向き合うことができない一因だ、と言う。一方の日本は、韓国は過去にこだわりすぎると非難する。この両国がまもなくサッカーのワールドカップ(W杯)を共催するというのだから、皮肉としか言いようがない。
 ところが最近、意外な人物が両国の緊張を和らげようとした。日本の明仁天皇が昨年12月の68歳の誕生日に、「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」という驚くべき発言をしたのだ。
 皇室が韓国とのゆかりを公に認めたことは明治以降なかった。だが、W杯を控えたこの時期に天皇が発言したことは偶然ではない。過激な右翼的言動や、たとえば『新しい歴史教科書』を編纂したような考えをもつ人たちに自制を促すための発言だった、と皇室事情に詳しい人物は言う。
 明仁天皇は、音楽、儒教、仏教という韓国が日本にもたらした三つの影響にも言及した。その背景には、日本の植民地支配で韓国が受けた苦々しい記憶を和らげようという意図が感じられる。
 「会見でのご発言は、天皇ご自身のお考えをきちんと述べたものだと思う。ご自身は、ソウルで行われるW杯の開会式へのご出席を望んでおられるのだと思う」と、皇室に近いある人物は言う。

縄文人と渡来人が混合

 今回の天皇の発言は13年間の在位中で最も心に響く、そして最も政治的な発言だったと、専門家は考えている。日本を非難してきた韓国や中国にも波紋を呼んだ。天皇は謝罪するだけではなく、中国、とくに韓国からの歴史上の文化的影響を認めることで信頼を得ようとしたのかもしれない。
 これは実に大きな変化だ。ある若い歴史学者は、天皇の発言に驚いたと言う。「この問題は日本で、雰囲気的にタブー視されてきた」
 宮内庁は考古学者による天皇家の墓の発掘を拒否してきた。「私有財産」だからというのが理由だが、朝鮮半島とのつながりが明らかになるのを宮内庁が恐れているからだ、との見方もある。
 日本のメディアもこの問題には消極的だ。皇室ネタが好きなテレビのワイドショーは12月の天皇発言をほぼ無視し、一般紙やニュース番組も大きく取り上げなかった。
 朝鮮半島から受けた影響について、日本で本格的な研究が始まったのは近年になってからだ。文化的な交流が進み、韓国とつながりがあるという考え方に抵抗感が薄れてきたことが大きい。
 約1700年前に朝鮮半島から日本に騎馬民族が渡ってきた、とみる専門家もいる。言語学者によると、皇室の祝詞は古代の新羅で使われていた言葉に似ている。新笠が生きた時代の畿内では、人口の約30%は百済を中心とした渡来人だった、ともみられている。
 上田正昭・京都大学名誉教授によると、日本の歴史学の問題は、モノや技術の交流に重点がおかれ、人間を軽視したことだ、という。
 「天皇陛下の言葉で重要なのは、桓武天皇の生母という一人の女性に言及した点だ」と、上田は言う。「彼女はいったいどういう人物だったのか。彼女の祖先はなぜ日本に渡ってきたのか。歴史は人間によってつくられるものだから、高野新笠という人物を学ぶことで学問が面白くなる」
 日本建国の神話に出てくるのは、人間ではなく神ばかりだ。天照大神は、傍若無人な弟のスサノオノミコトを高天原から追放し、孫のニニギノミコトらに地上を支配させた。その子孫が初代天皇の神武天皇だ。天照大神は神道の最高神として崇拝され、ニニギが天から降りてきたとされる宮崎県高千穂峰には今も多くの観光客が訪れる。
 神話は日本を征服した渡来人の物語である――こうした説が登場するようになったのは、第2次大戦後のことだ。
 江上波夫・東京大学名誉教授が自著で日本人騎馬民族起源説を打ち出したのは1967年。約1700年前に朝鮮北部や旧満州から九州に渡来してきた騎馬民族が東に勢力を伸ばして大和朝廷を打ち立てた、という説だ。
 哲学者の梅原猛もこのテーマに挑んでいる。ニニギ率いる天孫族がおそらく、朝鮮半島から九州南部に上陸し、高千穂にやって来たと梅原はみる。稲作技術をもつこの集団は、しだいに勢力を西都原(宮崎県)にまで広げた。
 1910年代に西都原で発掘された古墳からは、中国の船に似た埴輪や韓国で見つかった金銅製の馬具に似たものが出土した。「狩猟採集の土着の縄文人の文化圏に、稲作農業の技術をもって渡来した弥生人がやって来て、両者の混合が始まり日本民族が成立していったのではないか」と、梅原は言う。
 6〜7世紀に大和朝廷が権力を握る過程でも、朝鮮から受けた影響は大きかった。京都大学の上田は、1965年の著書で高野新笠と桓武天皇の関係に触れ、東大寺の大仏建立に果たした百済系渡来人の功績を詳しく書いた。同僚からは左翼呼ばわりされ、右翼からは何度も嫌がらせを受けた。
 しかし最近のさまざまな発見によって、朝鮮半島からの渡来人とその技術と文化が、日本に重大な影響を与えた、という上田の指摘が正しいことがわかってきた。
 660年ごろには、故国の混乱を逃れた百済人約10万人が大和地方に流れ込み、仏教や漢字をもたらした。この地方は8世紀末に京都に遷都されるまで、政治と文化の中心だったが、さまざまな出身の人々を受け入れる「コスモポリタン都市」でもあったようだ。

人口の半分に朝鮮の血?

 この時代に編纂された万葉集には、朝鮮半島への旅を詠んだ歌が含まれているほか、渡来人が詠んだ歌もある。大和地方に残る古墳の外観にも、朝鮮文化の影響がみられる。
 たとえば、1972年に壁画が発見された高松塚古墳は、内部に大陸風の衣装をまとった男女が描かれている。墓の主は貴族ということしかわからないが、「おそらく朝鮮半島からの渡来人だろう」と、地元のガイドは言う。
 こうした事実は、日本人はみな同質で、人種的にも混じり気がないという「自画像」を真っ向から打ち砕く。
 とはいえ、そんな人種主義的イデオロギーが生まれたのは、17世紀になってからだ。専門家によると、初めて渡来人がやって来たのは紀元前300年ごろのことだ。日本人の3分の1から半分が、朝鮮人と血縁関係にあると指摘する学者もいる。
 ほとんどの渡来人は、なんらかの形で日本への同化を強いられた。たとえば、主に東国(関東)に散在していた高句麗人は、716年に高句麗の王族、若光に率いられて現在の埼玉県南部に集団移住させられた。ここには若光を祭る神社が建てられ、今も若光の直系の子孫が神主をしている。このように朝鮮人が建てた神社は、今も日本全国に数多くある。
 鎖国政策を取っていた江戸時代にも、朝鮮人は受け入れられていた。徳川家康の時代に始まった朝鮮通信使は、全部で12回来日し、儒学や医学を日本に伝えた。

W杯に行く皇族は誰?

 だが、すべての交流が円満な関係に基づいていたわけではない。1592年からの豊臣秀吉による朝鮮侵攻では、朝鮮半島で暴挙のかぎりを尽くしたうえに、約5万人の朝鮮人を日本に連行した。
 この侵略は「焼き物戦争」とも呼ばれる。朝鮮の陶磁器を気に入った大名たちが、とくに陶工を日本に連れ帰ったからだ。薩摩焼の14代目沈壽官の祖先も、そうした陶工の一人だ。
 彼の祖先は、薩摩藩の島津義弘によって1598年に日本に連れてこられた。「われわれの歴史と私の人生での経験は、私を本当の『打たれ強い』人間にしてくれた」と、沈壽官は言う。
 さらに1910年、日本は韓国を併合した。韓国人は日本名を名乗り、日本語を学ぶことを強制された。第2次大戦中には、徴兵によって失われた労働力を補うため、朝鮮半島から約250万人が強制連行され、炭鉱、農場、工場で奴隷のように働かされた。
 現在、在日朝鮮・韓国人の多くは奴隷扱いこそされていないが、差別を受けている。強制連行された人たちとその子孫約60万人は、居住権はあっても参政権はなく、事実上無国籍の状態だ。
 ある在日朝鮮人の大学教授は、「就職口がなく、冗談ではなく暴力団員か学者になるしかなかった」と言う。35歳の在日韓国人のウェブデザイナーも、よく「ニンニク臭い」とからかわれたと言う。母親は、趣味のサークルではいまだに日本名で通している。
 韓国の被害者意識は、今回のW杯開催にあたっても強力に働いている。表向きは共催だが、日本と韓国は互いに張り合っているかのようだ。それぞれ独自の組織委員会をもっているし、大会の正式名称でどちらの国名を先に出すかをめぐっても衝突した。
 韓国代表のオランダ人監督、フース・ヒディンクは、選手たちの日本に対する激しい対抗意識に困惑する。「フランスに4対0で負けても、前の週に日本は5対0で負けているからいいや、という調子だ」と、ヒディンクは言う。「そんな比較はばかげている」
 とはいえ、一緒に世界の舞台に立つとあって、日韓両国の政府はW杯開幕前に関係を改善しようと躍起だ。両国政府は3月5日、専門家による「日韓歴史共同研究委員会」を発足させると発表。21日には、小泉純一郎首相が韓国を訪問し、ソウルで開かれるW杯開会式に皇室の誰が出席するかを決定する予定だ。
 今のところ、宮内庁は天皇が出席する可能性について口を閉ざしている。しかし韓国外国語大学(ソウル)の洪潤基(ホン・ユンギ)教授(日本文化史)は、天皇訪韓が実現すれば過去の傷は大きく癒やされるだろうと指摘する。

日本人の歴史を知る好機

 日本の多くの専門家は、韓国人との血縁関係を公に認めた天皇の声明に、「何も目新しいことはない」と素っ気ない。そして、朝鮮文化が日本に大きな影響を与えたことは周知の事実だという。
 本当にそうだろうか。京都にある高野新笠の墓の周辺住民は、新笠が朝鮮人だとは知らなかったと口をそろえる。
 竹林に包まれた新笠の墓は、散歩やハイキングには格好の小高い丘になっている。桓武天皇の母であることや彼女の名前が書かれた碑が立っている。しかし、彼女の経歴を語る物は何もない。
 「朝鮮人だなんて知らなかった」と、近所に30年近く住む主婦は驚く。彼女たち日本人にとって、これは高野新笠という女性の歴史を知るいい機会ではないだろうか。それは日本人自身の歴史を知ることにもなるのだから。

ジョージ・ウェアフリッツ(東京支局長)
高山秀子(東京)

ニューズウィーク日本版 2002年3月20日号 P.18
http://www.nwj.ne.jp/public/toppage/20020320articles/ja_nih.html

◆アメリカ人から見れば日韓関係のいざこざは、黄色い猿同士の仲たがいに過ぎない。

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