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「強者カルテル」大統領の発言 朝鮮日報・社説 05.05
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/05/04/20030504000032.html
盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が3日、次官クラス公職者のワークショップで韓国社会の「強者カルテル」を警告した理由を理解できないわけではない。しかし、大統領の言葉選びとその表現から伺える社会構造に対する認識について明確にしなければならない問題も少なくない。
盧大統領は、「強者同士で妥協する不正腐敗、犯則、特権のカルテルが形成されれば、不正と犯則が跋扈し、弱者は踏み躙られてしまう」とし、「公職社会が強者のカルテルに参加することがあってはならない」と強調した。
また「(公職社会が)強者には断固とした態度を堅持しなければならないが、弱者にはもっと優しくなってもいい」とも話した。
盧大統領の発言が、韓国社会の不正腐敗が主に既得権層で生じているだけに、公務員がそれを強力にけん制しながら、社会的な弱者にはより大きな配慮と関心を傾ける必要があるという旨で行われたものならば、異議を唱えるものは誰もいないだろう。
しかし、盧大統領の発言だけを取ってみると、こうした当為論以前に、韓国社会を「強者」と「弱者」という二者の対立構図に把握し、強者を敵対視しているような感を受ける。
「強者のカルテル」という表現からは二極化論理に基いた運動圏的な認識まで匂わせる。
大統領の真意がそれでなかったとしたが、他の表現や話し方も十分に可能だったろう。
強いメッセージを伝えるのと、刺激的な表現を使うことは別問題だ。そうでなくても韓国社会が多様な階層間の分裂と葛藤で混迷している中で、大統領があえて「強者」、「弱者」という表現を使う必要があったのだろうか。
大統領の発言は、全体の国民を束ねる権威と重みを持たなければならない。そうしてはじめて分裂と葛藤を沈静化する癒しの効果を上げられる。
大統領の発言が政治評論家や社会運動家のそれと同じだったら、論争の火種を生むだけだ。大統領の発言の内容のみならず、形式と表現が重要視されるのもまさにこのためだ。