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こどもの日 虚無のふちから救出を
イラク戦争で両腕を失い、全身に大やけどを負った少年の写真に胸を突かれた。
少年は自宅がミサイルの直撃を受け、両親や兄弟ら家族を失った。十二歳の身にはむごすぎるつめ跡だ。
内戦や地域紛争も含めて、地球上から戦火が絶えることはない。「こどもの日」に「子どもと戦争」について考えずにはいられない。
レバノン出身のドキュメンタリー映画の監督マリア・オーセイミが、写真と文でまとめた「子どもたちの戦争」(講談社)という本がある。
レバノン、エルサルバドル、ボスニア・へルツェゴビナなど四つの国を訪ね、砲火の中で暮らす子どもたちにインタビューしたものだ。
その中で「大人になったら何になりたいか?」と聞かれ、アフリカのモザンビークに住む九歳の少年が答えている。
「望みは、たったひとつだよ。大人になったら、…小さな子どもになりたい。それだけさ」
モザンビークの内戦では、子どもたちも兵士に仕立てられ、掛け替えのない子ども時代を奪われた。
イラク戦争は短期間で終息したとはいえ、子どもが途方もない衝撃と恐怖にさらされたことは疑う余地がない。
翻って、戦争がない日本の子どもたちは、子ども時代の幸せを享受しているだろうか。砲撃に見舞われる戦争があれば、全く次元の違う戦争もある。
ほんの一昔前には、受験戦争という戦争があった。親のいう通りに勉強し、いい学校、いい会社へ入って、人生の「勝ち組」になることもできた。
しかし、いまは一流企業でさえ破たんする時代だ。勉強したからといって、何を手に入れることができるのだろう。大人になったら、どんな幸せがあるというのだろう。
この問いに、大人は答えられるだろうか。生きることや学ぶことの真の意味も伝えず、薄っぺらな勉強に子どもを駆り立ててきただけだ。子どもたちの学習意欲の低下も当然の帰結である。
「未来に希望は持てないし、大人になったって何も変わりっこないさ」と子どもたちは冷めた目をして言う。
彼らの内面を侵食しているのは深い虚無感だ。現代の子どもたちの心に巣くう「内なる戦争」である。希望や努力といったプラス思考から逃避し、人生に見切りを付けてしまったかのようだ。
そこへ追い込んだのは大人の責任である。子どもたちを虚無のふちから救い出さずして何をするというのだろう。
[新潟日報5月5日(月)]