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投稿 平成15年04月29日10時28分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)四月二十八日(月)
(第五百六十一回)
○産経新聞、平成十五年四月二十七日、九頁、「正論」。
ここに、ジェームズ・アワー、米バンダービルト大学教授、
日米協力センター所長、なる人物の一文あり。
「日本で“注目”されるネオコンとは何か−−−彼らは米国外交の支配者にあらず」
と言ふ。
○「元進歩派をネオコンと呼ぶ」
○「副大統領らは、ネオコンではない」
○「米マスコミに担がれた日本」
○つまり、この人は日本人に対して、
米国では「ネオコン」など、何の意味もない。
と、説得したい。
○「ネオコン」は、三十年ほど前の米国では、いくらかの意味があったが、
今日では、何の意味もなさない。
日本のマスコミは、米国の一部のマスコミによる無責任な声にかつがれて、
この言葉を取り上げて、日本の読者に悪いことをした、
と、この人は言ふ。
○この人の主張は、そのまま、産経新聞の、ネオコンに関する今の論調に等しい。
との印象だ。
○とすると、産経新聞は、日本人に「ネオコン」について、
まともに調査し、研究し、考えてもらひたくない、のであらう。
○ジェームズ・アワーなる人物について、当寸評子は、
殆ど何も知らないし、関心もない。
○しかし、この人の米国「ネオコン」に関する論評は、全くをかしい。
○パトリック・ブキャナンが、二〇〇二年十月七日付で創刊した、月二回刊の雑誌
「ザ・アメリカン・コンサバティブ」二〇〇三年四月二十一日号、七頁以下に、
スコット・マッコーネルが、
「ネオコンサバティブの何処が間違って居るか?」
と言ふ記事が掲載されて居る。
○この中で、S・マッコーネルは、「ナショナル・レビュー」誌の四月七日号の、
デービット・フラムの論文に言及して居る。
フラムは、
一九八〇年代半ばから一九九〇年代初頭にかけて、
米国の保守派(共和党系、と言っても良い)の中に、深刻な分裂が生じ、
それは、全面的なイデオロギー戦争に発展した。
とする。
○そして、このイデオロギー戦争は、ネオコン派の勝利のうちに終結した、
と言ふ。
○敗北したのは、ブキャナンを含む、伝統的米国共和党保守派だ、と言ふ。
○ここでは、この問題は以下省略するが
「ネオコン」は、この三十年来、れっきとした米国政治の当事者の一方であって
これを、ないものにしてしまふとは、たいした度胸ではないか。
○ジェームズ・アワー、と言ふひとは、
ネオコンと言ふことばは、米国一部のマスコミで浮上してきたに過ぎない。
などと言ふ。
○しかし、「米国一部マスコミ」とは、何のことか。
○現在、「ウォールストリート・ジャーナル」(M・ブート)と、
「ワシントン・ポスト」(ケイガン)の論調は、
れっきとした「ネオコン」の指導的理論家グループによってほぼ完全に
支配されて居る、と聞いて居る。
○前記の二紙は、「一部のマスコミ」などではあるまい。
○それらは、米国巨大マスコミの中でも、フラッグ・シップ(旗艦)とされて居る、
筈だ。
○以下続報する。
(了)
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/wjn/frame.html