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東京地裁の麻原に対する死刑求刑で、面白い見解があったので転載。
この事件の 弁護団 について論じられる事はあまりない。
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【日刊スポーツ】2003年4月25日 社会(29)
■被告の言い分「ポア」した弁護団
麻原公判を傍聴してきたジャーナリスト青沼陽一郎氏
麻原公判を振り返ると
「むなしい」の一言に尽きる。
丸7年で約250回。被告人不在のままだらだらと続いた
この裁判に、いったい何の意味があったのかと思う。
しゃべろうとする麻原をことごとく封じて、
証人たちへの重箱をつつくような反対尋問に5年も費やした弁護団は疑問だ。
初公判から約半年後の96年10月、井上嘉浩証人を前に
「この件につきましては」
と意見陳述を始めた麻原を、弁護団が阻止。
比較的まともだった麻原はその後、英語陳述や不規則発言など
あの手この手で意思表明しようという「劇場(激情)期」に入ってしまう。
丸1年後の97年4月にようやく意見陳述の場が与えられた時も、
すべては弟子のせいで自分は無実とする主張を黙殺。
語る機会を失った麻原は弁護団との接見を拒否し、
その後の5年は寝ているか、別の世界にいっているかの
「被告不在」状態になってしまった。
こんな裁判が、被告が望んだ形とは思えない。
誰もが麻原自身の言葉を聞きたかったはずだ。
「本人のため」と言いながら、当事者を無視した
自分たちの意思を押しつける。ポアの論理と同じだ。
被告も、被害者も遺族も国民も不在。
司法制度にとって「失われた7年」以外の何物でもない。
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作家データベース 青沼陽一郎
http://www.kclabo.com/ken/link/DB/P00076.html