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二十一世紀はレオ・シュトラウスの時代だ
(アラン・ブルーム)とのご託宣
【日本人は、ネオコンを理解できない】
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/
投稿 平成15年04月13日22時11分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)四月十三日(日)
(第五百四十六回)
○レオ・シュトラウス。
○この人物について、「時事寸評」、五百三十七回、五百三十八回
で、米国「ネオコン」のゴッド・ファーザー、として、紹介論評した。
○日本の学界ではどう成って居るのか。
○と思って調べると、
○シュトラウスの門下、アラン・ブルームが訪日したとき、ブルーム
は、二十世紀にハイデッガーが占めていたような位置を、二十一
世紀においては、レオ・シュトラウスが占めるようになると述べた。
○その言を聞いて、日本の学者たちは、大きな衝撃を受けた、と言う
(シュトラウス著「古典的政治的合理主義の再生」、
三百四十四頁、ナカニシヤ出版)。
○何故なら、その頃まで、日本の関係学界は、シュトラウスなど、
全く、視野に入らなかったからであると言う。
○まあ、そう言うわけで、この十数年、日本の関係者(いわゆる
哲学者、政治哲学者、政治学者)たちの間にシュトラウス研究
が、少々は胎頭して居るとのこと。
○にも拘わらず、
このレオ・シュトラウスと、いわゆる「ネオコン」「ネオコン
サバティブ」「新保守主義派」とがまるで結びつかないものの
ようだ。
○政治哲学。
この学問西洋式を、日本人は徹底的に、苦手とする。
○西洋から科学技術一式を導入したが、日本人は、西洋式哲学、
そして西洋式政治哲学に、なじむことが出来ない。
○日本人にわかるのは「憲法論」「憲法学」である。
○しかし、「憲法学」は、イルミナティ世界権力の占領基本法
としての日本国憲法を合理化し、正統化し、解釈するだけのもの。
○政治哲学は、憲法解釈額とはまるで違う。
○敗戦占領後、日本の売国奴学問奴隷と売国奴官僚政治家
国賊マスコミ人が金科玉条として居るのは、米英アングロサク
ソンデモクラシー議会政治、なるものである。
○しかし、レオ・シュトラウスの哲学と、政治哲学は、その
いわゆるアングロサクソンデモクラシーと、似ても似つかない。
○そのシュトラウスが、二十一世紀の主流と成るであろう、との
ご託宣。
○現に、今、シュトラウス学派が、単に米国政治哲学アカデミズム
の主流を制したのでなくて、米国の国家権力中枢をも掌握して
しまった、と言う。
○これは、「白痴」以外の何者でもない日本の自称(詐称)国家
権力エリート階級にとっては、何が何だか、まるで分からない。
五里霧中、の心境であろう。
○そしてこのような白痴エリート権力階級に導かれて、一億二千万
人の日本人羊人間家畜人ヤプーの群れは、第三次世界大戦の
屠殺場、と盲信しつつある。
○米国権力中枢を握るいわゆる「ネオコン」陣営は、第三次世界
大戦(米ソ冷戦)は終わった。これから「第四次世界大戦」、と
吹聴して居ると言う。
○この件については、続報する。
(了)
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