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ブッシュ政権を支えるチェイニーと
ラムズフェルドの強力師弟コンビ
〜20年前の2人との触れ合いで感じる政権安定度への貢献〜
ブリッジ ジャパン
株式会社
代表取締役社長
松尾 文夫 今回はいささか懐古談風となるが、お許しいただきたい。いま厳しい日米関係を展望するなかで、思い出すのが、ブッシュ新政権の中枢に座るチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官との20年前の出会いである。そしていまも目に焼き付いている2人の能吏ぶりである。
下田会議での出会い
誤解を招かないようにしておくと、2人は1980年代初め、レーガン政権第1期を共同通信社のワシントン特派員として取材した時のニュースソースで、友人としての関係が今も続いているわけではない。1984年夏、私が東京に帰任してからは、自然に疎遠になり、その後、再会も果たしていない。
しかし、2人がブッシュ新政権の内外交、特に日米関係の再構築で決定的な役割を果たすことが明らかな以上、それぞれ20年前の素顔を報告しておくのも、意味があると思う。
1969年9月、当時としては、画期的な日米対話の場であった下田会議の第2回会議の取材で、ラムズウェルド氏と会った。
私はこの年春、ニクソンがホワイトハウス入りを果たしたのを見届けて帰任したばかり。下田会議の事実上の主催者であった現国際交流センター理事長の山本正氏の好意もあって、会議の議事終了後、下田のすし屋で懇談、ニクソン政権談義に花を咲かせた。
ラムズフェルド氏は当時37歳。シカゴ選出の下院議員を4期務めた後、ホワイトハウスの経済機会局長のポストに就いていた。ニクソン大統領に近いといわれ、プリンストン大卒の元海軍パイロットでオール海軍のレスリング・チャンピオン。自信と野心に満ちたやり手そのものという感じだった。
その彼と再会したのが、12年後の1981年5月、シカゴ郊外の製薬会社、G・D・サール本社の社長室である。支局長として2度目のワシントン勤務に赴任する途中、わざわざ立ち寄ったもので、ワシントンで発足したばかりのレーガン政権の全体像をきちんと教えてくれるニュースソースを紹介して欲しい、とずばり頼み込んだ。
私には、ラムズフェルド氏が、ワシントン経験の長い共和党のプロ政治家として、カリフォルニアからホワイトハウス入りしたレーガン大統領に対し、指南番の役割を果たしていると思えたからである。ワシントンとの融合に失敗したニクソンと同じような悲劇を繰り返さないためである。
彼は下田以後、ニクソン政権下で大統領顧問に昇格したが、73年、駐NATO大使の任命されたのが幸いして、ウォーターゲート事件には巻き込まれなかった。フォード政権の発足時には、政権移行委員会の委員長。その後、首席補佐官を経て、75年には史上最年少で国防長官に就任、同じ中西部出身のフォード大統領を支えた。そして、カーター政権の登場となって、実業界に転じたばかりだった。
師弟のきずな
快く私の頼みを聞いてくれた同氏が、即座に秘書に命じて呼び出したのが、ディック・チェイニー下院議員のオフィスだった。「ニクソンについての本を書き、ニクソン回顧録も訳した男だ」と紹介は丁寧で、議員会館の電話番号と秘書の名前まで書いてくれた。手抜きをしない手堅い男だ、と思った。ワシントンには戻って来ないのか、と聞くと「いつかはね」と片目をつぶってみせた。
ほどなく下院議員会館の自室で会ってくれたチェイニー氏は、当時40歳。目から鼻に抜けるという表現がぴったりの人物だったが、最初から打ち解けて「ラムズフェルド氏は私のメンター(先生)だ。彼の言うことはなんでも聞く」とおどけてみせた。
そもそもワシントンでの最初の仕事が、ニクソン・ホワイトハウスでのラムズフェルド氏の特別補佐官のポスト。以後同氏の右腕としてフォード政権にも残り、75年には、ラムズフェルド氏の後を追っていきなり首席補佐官の要職に。
フォード落選後、下院議員に転じて当時は2期目。その後はブッシュ・シニア政権で国防長官を務め、パウエル現国務長官と組んで、湾岸戦争を取り仕切ることになる。
結局、まる3年の勤務中、四回会ったが、いつも親切で、訪米した村山蔵相とケンプ下院議員(後に副大統領候補)との対談もアレンジしてくれた。話は簡潔で的を射た答えがポンポン返って来た。
レーガンを馬鹿にするな
私の最大関心事は、そのころレーガン大統領が「強いアメリカ」を説く延長で、ソ連を「悪の帝国」と決め付けていたタカ派路線の行方。チェイニー氏の答えは「レーガンを馬鹿にしてはいけない。反共思想、保守主義の原点に忠実で、言葉は激しいが実際の行動は現実的、最後のところでは安心していられる。米国が対ソ軍事抑止力の回復に成功した結果、ソ連との交渉が可能になっており、冷戦の激化ではなく、その終結を目標としていると思ってほしい」と明快だった。
このクールな分析に私がどれだけ助けられたことか。その価値は、現在の世界情勢が物語ってくれていると思う。
三度の心臓病の障害を克服して、今、副大統領のポストにあるチェイニー氏は、ブッシュ大統領とひっきりなしに話し合っているという。ホワイトハウス内で開かれるさまざまな会議の前後での立ち話が多いという。この2人だけの場で政策の方向が決まると、その後の実行はすべてチェイニー氏が引き取るという。表には一切出ないが、事実上の首相といってもいい。新しい実務型の副大統領の登場である。
ポストこそ逆転したものの、ラムズフェルド氏との師弟コンビは、ブッシュ政権にかつてのレーガン政権に似た安定感を生んでいる、と私は肌で感じる。
特に、ラムズフェルド国防長官が、全米防衛ミサイル網建設など米軍事力の抜本的な「新世代化」に着手した今、この敏腕コンビは日米安保体制の見直しという、えひめ丸事故の悲劇を越えた日米関係の根幹に手を突っ込んでくる可能性もある。日本側の対応が本当に心配である。
(2001年2月27日記)
ニクソン時代から生き延びるワシントンのプロ中のプロ、
ラムズフェルド国防長官 (ロイター=共同)
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…時期はずれな投稿申し訳ありません。