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【イラク南部の米軍指揮所で姜仁仙(カンインソン)・朝鮮日報特派員】バグダッドに向け北上中の米陸軍第5軍団支援司令部指揮所の所属部隊に従軍中の記者は24日朝(日本時間同日午後)、バグダッドから約200キロ離れたイラク南部を走る車両の中にいる。米軍が「ボストン補給路」と名付けた侵攻路は、米軍の中でも最も西寄りに位置している。部隊は23日午後、激しい戦闘のあったナシリヤ近郊の補給地を出発、徹夜で北上中だ。
激戦のあったナシリヤの近隣地域は23日午後(日本時間同日夜)、平静を取り戻しつつあった。所々に広がる牧草地には、羊やラクダを連れたイラク人が現れ、道路にはイラク人の運転する車が走り始めた。
イラクの人々は、米軍の車両に向かって手を振ったり、Vサインを作ってみせ、米軍兵士が道端に捨てた非常食の袋から食べ物が残っていないか探す人の姿もあった。
しかし、西北に向かうにつれ、再び殺伐とした雰囲気に包まれた。人の姿がなくなり、砂漠だけの世界に戻った。戦闘地が近いのか、空には米軍の攻撃ヘリ「アパッチ」と「コブラ」が絶え間なく飛び交う。途中、戦闘を終えて帰還する米軍部隊と出会った。後で、その部隊が、開戦後、米軍では最大の死傷者を出したことが分かり、指揮所の隊員たちの表情が暗くなった。
「米軍はイラク軍をあまりにも過小評価したようだ」という憂慮の声も聞こえる。湾岸戦争は、クウェートに侵略したイラクを追い出すのが米軍の目標だったが、今回は米軍がイラクに侵攻したのであり、イラク人たちの抵抗は当然だという反応も米軍兵士たちの間に出始めた。
戦争が始まる前は、早ければ1週間、長くても3週間で終わるのではという予測が多かった。だが、今はそんな楽観的な言葉を口にする兵士はいない。死傷者が多く出る戦争の長期化こそ、米軍がもっとも恐れる事態ではなかったのか。
第2次補給基地に向かう道は遠く危険だ。そして米軍車両は、細い道をもみ合うように進むため、速度は思うように上げられない。砂漠をう回しようとすれば、砂塵(さじん)との闘いを強いられる。だから、200キロの移動でも20時間以上かかるわけだ。強行軍というのは、まさにこういう状況を言う言葉だ。
補給基地を出発してからは車両内で食事し、睡眠をとり、米軍兵士は運転を交代しながら移動し続けている。
あたりが暗くなれば、敵陣にいるという恐怖感がふくらみ、兵士の緊張は極度に高まる。戦闘が終わった地域とはいえ、小規模の銃撃戦が起きる可能性は残っている。車両の外に出る時は常に武器を携帯しなければいけない。記者は何時間か後に第2次補給基地に到着し、次は、最大の激戦地となるはずのバグダッドへの進撃を待つことになる。
チグリス、ユーフラテス川流域は、メソポタミア文明の発祥地であり、バビロンとアッシリアの古代文明もまさにこの地に生まれた。しかし、それは、すべて昔話であり、今は、戦争の真っただ中にいる。
バグダッドには、いつになったら行けるのか、そして本当に行けるのか。今では、よく分からない。今、私は一日も早くこの砂塵と残虐な戦争の恐怖から抜け出したい気持ちだ。戦争というのは、いくら立派な大義名分があっても、結局は「野蛮」そのものとしか言いようがない。
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情報が厳しく規制され「見えない戦争」と批判された湾岸戦争(91年)の反省から、米国防総省はイラク戦争で、部隊とともに行動する「エンベッド」(埋め込み)方式の取材を各国メディアに認めました。朝鮮日報の姜仁仙特派員は、軍事機密保持などのため軍が提示した取材・報道のルールに従い従軍取材を続けています。
[毎日新聞3月24日] ( 2003-03-24-20:52 )